2014年10月22日

本質的な中身が欠落した「不毛な議論」が生み出すのは悲しみだけ-「在特会」ヘイトスピーチと、いじめを隠蔽しようとする人々との共通点とは



 一部の報道において、大阪市の橋下市長が、いわゆるヘイトスピーチを行っている「在特会」とよばれる団体に対して口頭で注意するために対話の機会を設けたところ、暴言の応酬となってしまい、結果的に議論がまとまらなかったということが報じられています。

 この対話の機会が設けられた背景として、この団体が、在日コリアンの方々が通う朝鮮学校と呼ばれる種類の学校の授業を妨害したことがきっかけとなり、橋下市長が注意喚起するために対話の機会が設けられたということが言われています。特定の民族を人くくりにした上で、暴言を交えて差別するようなことが、教育の場である学校の近くで行われたという出来事は、当事者となった子ども達の目にどう映ったのだろうか、と思うと心が痛みます。


 そして、報道の中身を見ていても、どうにも議論がかみ合わず、橋下市長と「在特会」の代表とのつかみ合いのシーンのインパクトばかりが大きく報じられ、本来問題となるべき肝心の議論の中身があまり大きく報じられていません。それは報道側の伝え方に問題があったということではなくて、問題となっている団体が橋下市長に対して、冒頭から暴言を吐いていて、それに対して橋下市長が暴言で答えてしまい。その結果、肝心の「本題」の部分が欠落した議論に終始していたために、「争い」のインパクトばかりが大きくクローズアップされた報道内容になってしまったためだろうと思います。

 そもそも、日本には朝鮮学校に限らずインターナショナルスクールなどの、外国人を対象とした学校が数多くありますが、そうした教育の多様性のあり方が、一部の民族差別的な言動によって萎縮してしまうとすれば人権に関わる問題であるということは言うまでもないでしょう。国連がいわゆるヘイトスピーチに関して日本政府に何らかの取組みを行うよう勧告していますが、国連からの勧告が出ているという事実は極めて重いものとして捉えていくべきだと私は思います。


 そして、この議論の映像を見ていて、私が思ったのは、問題の「在特会」の会長が、意図的に橋下市長を挑発したのは、今回の対談において「本質的な議論」をさせないために意図的に挑発をするという「戦術」だったのではないかということ、そしてその「戦術」に対して橋下市長が乗せられてしまった面があるのではないか、ということです。


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 私自身も、学校でいじめられた経緯があり、その中で多くの同級生から暴言を言われたりした経験がありますが、その経験から言えることは、やはり暴言に対してはなるべく冷静に返答していかないと、本質的な議論はできないということです。

 本当に「本質的な議論」を行う意思があるのならば、やみくもに暴言でののしるのではなく、「問題とすべき事は何なのか、それはどのようにしたら解決しうるのだろうか」を明確にしてきちんと議論を進めていくべきはずなのです。

 しかし、一部の人たちは、「問題とすべき事は何なのか、それはどのようにしたら解決しうるのだろうか」という話そのものに進むことをなぜか嫌い、暴言でごまかそうとする傾向にあります。これは、暴言を吐くことにより相手を挑発し、暴言の応酬に持ち込んで本質的な議論を遠ざけようと意図する、一種の「戦術」なのだろうと思います。単に暴言を吐く事を目的としていたり、あるいは追求されるべき議論について本質的な話を避けようと意図していたりする人たちが、こうした「戦術」を取ろうとしていたりするわけです。もちろん、このような「戦術」が取られる事になると、単に争いや対立の火種を大きくしてしまうだけであり、現実に解決すべき話そのものは、前に進んでいかないだけの結果に終始してしまうわけです。例えば、「おまえ」とか「あんた」とかいう一人称の言葉をめぐる応酬とか、「ばか」「あほ」などの言葉の応酬になってしまうレベルになると、本題として議論すべき問題が全く手付かずになり、何のための話し合いなのか分からなくなるということです。



 私自身がそれを一番実感したのは、かなり前の話になりますが、私自身が受けたいじめの事に関して、私の当時の居住地の某自治体の教育委員会とトラブルになったときです。私自身、教育委員会の担当者と1時間弱の言葉の応酬を経験しましたが、教育委員会の担当者はいじめ問題から議論をそらさせようとして、全く関係の無い話を持ち出してきたり、意図的にこちらの神経を逆なでしようとしていたりして、とにかく「本題」について議論をさせないような「作戦」を取ろうと躍起になっていた感じでした。



 当時の私は、教育委員会の担当者の発言内容を聞いていて「本題としてのいじめ問題のことについて意図的に話を避けるために暴言を吐いているのだろうなあ」ということを感じたので、私は相手の「作戦」に乗せられてはいけないと感じたし、何よりも私自身は「争いより、問題の解決のための話を前に進めたい」ということをまずは望んでいたので、私としては、相手の暴言に対して感情をこらえて「その話をしに来たわけではなく、いじめの件について…」という形で返答したうえで話を前に進めようと何回も試みたのですが、私が話を進めようとして、少し話そうとしただけでも、それこそ文字にして2、3文字分、冒頭の一語程度だけ話しただけ(つまり話の中身についてはほぼ何も話せていないレベルの段階)でも、相手が次から次に暴言を連発してくる感じだったので、自らの意見を言うにも相手の言葉と重なり合う形で話をするしかなく、結局は本質的な議論はほとんど出来ない状況でした。


 私が教育委員会との話し合いに臨んだとき、具体的には中学時代のいじめについて、学校側から酷い対応をされた経緯があり(中学時代の学校のいじめについての教師側の対応については、このブログでもいくつか記事として書いている通りです)、問題が解決しないまま卒業後もいじめが続き、学校の外における嫌がらせなども続いた経緯とか、高校の学校生活にも支障が出ていた経緯があったため、そうした事を含んだうえで、いじめの件について相談する旨の連絡をいたしました。

 私が最初に相談した課では「カウンセラーに相談した経歴があるならその書類等は残っていると思います、それは○○課管轄なのでうちでは管轄外です」と言われたため、指定された課のところに出向き、改めていじめの件について相談したという経緯があります。そうした経緯があったため、私としては、この時は自分が受けたいじめについての真実について知るための資料として、形式上は、情報公開法に基づく開示請求という形を取ろうと考え、当初相談した課において言及されていた「カウンセラーとの相談の履歴に関する書類」などに関する書類やメモ等の存否、そしてそれらの書類が存在しているならその書類の開示を求める旨、などについて私自身が話し合いを行いました。

 当時、代理人や親のみではなく私自身が教育委員会との交渉に関与したのは、中学のいじめをめぐる学校側との話し合いに関して苦い経験があるためです。中学1年当時、学校側との話し合いについては、当然ながら保護者である私の親が学校側と話し合っていたのですが、学校側が私の同席のないところで私の親だけを呼び出したうえで、学校側が私の事に関連して事実無根の「罪」をでっちあげるという暴挙に出ていて、私の親としても、普段は会社に行っていて学校の一部始終をみているわけではなく、従って学校の内実について知るわけではなく、私本人がその話し合いの場に同席していない以上は「何が事実なのかそうではないのか」を私の親だけで判断することが出来ない以上、学校側に対して十分な反論ができないまま、学校側の主張を聞くしかなかったという経緯があります。もちろん私自身はその場に居合わせていないために反論や説明を行う事が出来ないまま、知らないうちに見に覚えの無い「罪」を着せられた形になり、人格を否定され、その後私がほかのひとからいじめられても私のほうが悪者扱いされる流れが続いていったためです。

 結論から言うと、その話し合い以後、私の人間としての信用性が貶められ、その結果として、中2以降でも続いたいじめの際に、私が他の人から暴力や暴言などを受けても、学校側は私のほうを悪者扱いする対応を繰り返していくようになった経緯があります。私に対して暴力や暴言などを行った加害者達には、学校側は何も注意しない、そういう状況が常態化していったわけです。

 もし中1の時の話し合いの時、私が同席していたら、学校側がでっち上げた内容一つ一つについて私自身が否定したり事実関係についての説明をしたり出来ていたはずなのに、私の同席が許されていない以上は、私自身としてはその場での反論や事実関係の説明等ができなかったため、私の知らぬ間に「事実無根の罪」を着せられたということになるわけです。

 その苦い経験があるため、教育委員会との交渉の際には、いじめを実際に受けた本人である私が話をしていかなければ、中1のときに学校側から貶められたときの二の舞になるし、何よりも親なり代理人なりが話し合いに臨むんだとしても細かいところの反論や説明は困難になるのは明白だろう、ならば私自身が話し合いに臨むしかないとの思いがあり、私としては、私自身の親や、私と似たような経験を持つ子どもの親御さんなどの協力を仰ぎながら、私自身が関与する形で(もちろん親の監督下の下ではありますが)教育委員会と話を進めることにしたわけです。

 教育委員会との話し合いの事に話を戻しますが、当初相談した課において言及されていた「カウンセラーとの相談の履歴に関する書類」などに関する書類の存否、そしてその書類が存在しているならその書類の開示を求める旨、などについて情報公開制度に基づく請求を行おうと考え(もちろん、仮に私の側に権利行使能力が無いとされることで交渉が阻まれるなら、私の親がその権利を代理的に行使するということも念頭に置き)私自身が話し合いに臨んだわけです。


 その話し合いの冒頭、いじめの事について、教育委員会は話すら聞こうとせず、むしろふざけた態度をとりながら「いじめられてもタレントとかになった人がいるからいいじゃないか」みたいなふざけた発言をしてきました。あまりにも酷い発言に私は驚きましたが、とにかく冷静になって返答しようと考え、私は「特定のタレントさんがいじめられた経験があるという事例は個別のケースで、その方の経験と私が受けたいじめとは別件だし、そもそもいじめに関する事実関係の確認と職業選択の話、あるいは自己実現の話は別個の問題ではないのでしょうか」と返答しました。


 すると教育委員会の担当者はいきなり態度を変え「あんたはそんな事をいちいち言って何になるんだ、そんな事にエネルギーを使って何になるんだ」といって激昂し始めました。それに対して私は「エネルギーを使ってまでも申し上げる必要がある、いじめの現状があり、現実に困惑していて、まずは真実を知るために、○○課から案内のあった当該書類の存否についてうががった次第です」と言おうとしているのですが、教育委員会の担当者は、私が話をしている最中から「どうせもういじめはないんでしょ、ないんですよね、そうですか、でしたらねえ…」みたいな感じで独り言的に勝手に話を進めていく状況でした。

 こうした教育委員会の対応には、私としてもさすがに腹が立ちましたが、私は今までの学校生活の経験上、こうした対応を取る人の多くは、本質的な議論から逃げるためにあえて相手を挑発しているのだろう、ということは容易に理解できたので、相手の「作戦」に乗らないために平静を保つことにしました。

 そうしている間にも、教育委員会の担当者は独り言的に「どうせもういじめはないんでしょ、ないんですよね、そうですか、でしたらねえ…」みたいな感じで独り言的に勝手に話を進めてたので、私は「いじめがなければ、あなたのいう『エネルギー』を使ってまでこんなところに問い合わせません。中学在学中、私は学校側から、あたかも「言う事を聞かないと教育委員会にいうぞ」と私が同級生に対して脅したかのように虚偽の話をでっち上げられた経緯もあり、また他にもいろいろな中傷も受けましたが、それ以前に進学の事を考えれば内申書の事もある、そうした中で在学中は教育委員会に対して話をできない事情もあった、しかし現実に卒業後にも様々な問題が出ていて、いじめも続いている、その現状の一方で、中学の在学時には知らされていない話とかも出てきている、その内容について知りたい事もあり、まずはそのためにこれから話をしようと相談しているんです」と言ったのですが、私がこの発言を言っている途中も、教育委員会の担当者はいろんな事を叫んでいて、意味不明な感じになっていました。まるで私の声を掻き消そうとしてるかのようでした(このときの教育委員会の担当者の態度は、まるで報道にあった「在特会」の会長と同じような話しぶりで、反射的に暴言を羅列しているような感じでした)。

 そのやり取りの中で、教育委員会の担当者は、私に対して、この地域から出て行け、という趣旨の言葉を言ってきました。市役所のオフィスで、公務員からこのような暴言が飛び出す状況は、私としては自分の耳を疑ってしまうほど信じられない状況でした。

 しかしながら、教育委員会の暴言に対して暴言で返してしまっては、教育委員会側の思う壺になってしまうと思いました。少なくとも、私は争いを行う事を目的としてるのではなく、一連のいじめ問題について話を少しでも前に進めることが第一の目的だ、ということを考え、冷静さを保つ必要があると私は直感的に判断しました。

 そのため、教育委員会の担当者が言った「出て行け」発言に対して、私は「将来的に県外に出るか否かは検討中ですが、しかし…」と話し始めたところ、教育委員会の担当者はまたも私の発言をさえぎるかのように「東京!大阪!福岡!勝手に行けばいいじゃないですか!」みたいな感じで県外の地名を連呼し始め、私の発言をさえぎろうと躍起になっていました。

 さすがに相手の発言が収まるのを待つわけにも行かず、私は教育委員会の担当者の発言に重ねる形で話を続けるしかありませんでした。教育委員会の担当者が地名を連呼している中、私は話を続け「将来的に県外に出るか否かは検討中ですが、実家が残っている以上は…」と私が話を続けようとすると、教育委員会の担当者は「お前に○○(自治体名)は関係ないだろ!」と言い放ったため、私は「実家が○○(自治体名)にあるのに、それに私が実際にいじめを受けたのはこの教育委員会の管轄下の学校ですよ、それで私がこの地域と関係ないわけが無いですよね、それに、将来的に親の介護とか万一の時とかのとき、仮に私が県外に出ていても、地域とのやり取りが必要になったりする、そうしたときまでいやな思いはしたくないし、現に中学校の卒業後でも高校でのいじめにつながっていった経緯もあり、また地域的な怨嗟が残っていることは事実でそれが拡大していってる、そうした諸々の事を考えた上で、事態を少しでも打開しようと考えるのは人間として当然の事だと思いますが」という趣旨の事を言ったところ(もちろん私の発言中も教育委員会の担当者は地名の連呼などを続けていて、なにやらワーワー言っている感じでした)、教育委員会は今度は別の発言をし始め、「誰が出てけって言ったんか?あ?」みたいな言葉を言い出して、数秒前までの暴言とは矛盾する内容の言葉を言い出したりする始末でした。

(現に私や私の親に関する誹謗中傷というのは中学卒業後も続いてたのは事実で、中1の時の事を元ネタにしたと思われる噂話が高校2年のときに私の親の職場で駆け巡って、私の親が職場から説明を求められたケースもあるほどでしたし、また私が高校受験で併願の私立に合格して県立高校(後の出身高校となる学校)の受験を控えていた時期から、同級生達の間で、私の親があたかも触法行為で逮捕されたかのような話が一方的に流布され(実際は私の親は逮捕された経歴などは無いのですが)、その噂話の流れが卒業後も続いていて私の親も困惑していた経緯もあります。私自身はもっと多くの誹謗中傷や暴力等のなかで耐えていた日々だったと言う事は言うまでもありません。一旦仲良くなった人が急に態度を変えたと思ったら、中学のいじめの流れを汲む人たちからの噂に便乗するようになっていじめっ子側に就くようになる人たちばっかりになって、そんな人たちが大勢いて、その中でいじめの規模が大きくなっていった現状もありました。私自身の事はともかくとしても、私の家族の事まで地域的に誹謗中傷が広まるということが、私にとっては耐えられなかったのです。)



 そうしたやり取りを挟みながらずっと口論が続き、教育委員会の担当者は、終いには私が進学校に進学した事を引き合いに出してきて「いじめられても○○高校にいったんだからいいじゃないか」「塾に行かずに○○高校に行ったんだろうが、それでいいじゃないか」みたいなことを言い出したりしました。それに対して私は「高校の合否といじめ問題とは関係ないのでは」と言っても、教育委員会の担当者は「塾に行かずに○○高校に行ったんでしょ、それでいいじゃないか」とおうむ返し的に連呼する始末でした。「いじめを我慢したから○○高校に受からせてやったんだ」みたいな趣旨とも受け取れる発言もあり(おそらく教育委員会が高校受験を主催していることをふまえた上での発言と思われます)、教育委員会がこうした侮辱的というか横暴すぎる発言を平然と放っている状況については、私自身も冷静ではいられなくなっていきました。

 私はさすがにこの時は冷静ではいられなくなり、教育委員会担当者の発言に重なる形で反論しました。私は、「あえて高校受験の事といじめのことについて関連があるとすれば、中学のいじめが酷くて塾に通えなかった、それは事実として、そのことがいじめっ子達から「塾を馬鹿にしてるのか、塾通いの子を馬鹿にしてるのか、塾の教材や塾の教師を馬鹿にしてるのか」とみなされて私の勉強関係の事、私の独自の受験勉強などのこと含め、やることなすこと他の人から「他人をバカにするためにやってるんだろ」と言われ続け、同級生の親からも睨まれ続け、中学を卒業した後は受験が終ったにもかかわらずその流れが続いて、私が何もしてなくても「他人を見下している、馬鹿にしている」といわれてそれを根拠とする形で私が発言していないようなことをあたかも発言したかのように捏造されてさらに言われる日々、そうした中で幾たびにも口論となり、時には公共の場で周囲の方々に迷惑がかかったこともあるし、そうした口論の中で、「教育委員会に言わないから悪い、裁判しないから悪い、悔しかったらやってみろよ、やらないならごちゃごちゃいうんじゃねえよ」と、当事者であるいじめっ子達から言われ続ける日々の現実があると言う事、それは学校と言う枠を出たら地域的な怨嗟として噴出していく、それがまたいじめの拡大の要因となっていく、その現実をふまえるなら、なぜ自分がこのような事に巻き込まれたのか事実関係を知りたいとおもって調べるのは当然の事なのではないでしょうか」という趣旨の事を私は述べました。しかし、私の発言の途中でも教育委員会の担当者は「そんなもん、勝手に言わせとけばいいんだろうが!」「どうせお前は俺らに何も出来ないんだろ、それでいいじゃないか」といった趣旨の暴言を、私に対して連呼しながら、私の発言をかき消そうとする始末でした。私が「一連のいじめの結果、自分がやられたことだけでなく、親にまで迷惑がかかっている出来事も多くある、そのことをどう考えてるのですか」と問うても、相手はただ「そんなもん、勝手に言わせとけばいいんだろうが!」みたいな言葉を連呼しているだけの感じでした。


 そうした言葉の応酬が続くなかで、教育委員会の担当者に向かって別の職員が「ちょっと、ちょっと」と小声で話しかけていて、その声と同時に教育委員会の担当者は私に対して「今から会議ですから!」と言って話から逃げていく、そして話が強引に終了、という感じでした。



 私としては、いじめ問題について「どのような現状があるのか、そもそもなぜこのようないじめが起きたのか、学校側は私のいないところでどんな話を行っていて指導方針が決められていったのか、あるいは加害者側と学校側とのやり取りはどのようなものだったのか」という事、特に中学在学中では分からなかった事実が卒業後に判明したことも多々あったため、改めてそれらのことについて知りたいということを思っていて、その「本題」の部分を話し合いたいと思っていたのですが、相手は話をろくに聞かず、むしろこちらの神経を逆なでするかのような態度ばかりを取り続ける状況でした。

 結果的に、私としては、一連のいじめの中でどんな事をされ、どのような仕打ちを受け、学校側がどのような酷い対応を行ってきたのか、という「本題」についての説明もほとんどできず、あるいは物証(いじめによって壊されたり破られたりした私の所有物など)の提示も含め、私としてはいつでも提示できるよう準備していたのですが、そうした事も一切出来る状況ではありませんでした。

 私としては、「本題」から話をそらさせてはならない、との思いから、冷静さを保った上で話を進めようとして心がけていたし、相手が話をそらそうとしていたので私としては「今日はその話をしているわけではなくて…」と言う形で(言葉の応酬となった1時間弱の中で私は何回この台詞を言っただろうか、と思うほど)本題のいじめの話をしようと試みていたのですが、それでも私自身も冷静ではいられなくなったのかもしれないし、少なくとも結果論としては肝心の「本題」の部分はほとんど言えず仕舞いで終ってしまったと思います。ただ、こうした暴言的な対応は行政の対応として以前に、一般的な「人と人とのやりとり」のあり方として、教育委員会側の応対は明らかにおかしなものだと私は思います。



 ちなみに、他のいじめのケースでも、教育委員会はやはり似たような「暴言」的な対応を行っているらしいです。私の親の知人で、体罰で体を壊して入院した先輩の親御さんのケースだと、診断書を持っていっても教育委員会から「もともとの持病だろ、弱いから悪い」といった返答が返ってきたケースもあるようですし、保護者が教育委員会と話し合ったケースだと保護者のほうが寝込んでしまうほどの暴言を浴びせられるケースも少なくないと聞きます。私自身はこうした経緯があるため、大津のケースや出水市のケースで報道などで言われている「教育委員会のひどすぎる対応」の報道を見ても驚きではなかったし、教育行政の横暴な対応は、大津の事件などだけを取り上げたとしても氷山の一角を知っただけにしか過ぎないし、マスコミでは報じられていないような酷い応対というものが全国でもたくさんあるのだろうと思います。



 いじめのアンケートの数の報道とかで、教育委員会がどこまで情報を適切に出しているのだろうかという事も議論されていますが、やはり教育委員会の事なかれ主義とか隠ぺい体質は変わっていないという指摘もあります。


 話は長くなりましたが、ただ、教育委員会がいじめ被害者に対して「ヘイトスピーチ」的な手法で、議論の本質的な部分に触れさせようとしない、そうした手法でいじめを隠し続けることが今後も横行するようであれば、教育現場に携わる教師や教育委員会もヘイトスピーチを行う、そうした大人たちの影響を受けた子どもの中には、暴言という形でいじめの加害行為に手を染めるようなケースも多い、そうした社会の中で、言葉がどんどん荒廃していき、いじめもひどくなり、一方で問題の解決のための対話がどんどん軽薄なものになっていってまったく対話が出来ない状況になっていく、そしていじめ問題も差別の問題も解決が難しくなって、逆に対立ばかりが深まるようになる、そうした「いじめ社会」の様相が強まっていくものと思います。


 冒頭で述べた「在特会」会長の言葉の使い方などをみていると、教育委員会が保身を図るためにいじめ被害者に対して言い放つ暴言の手法と似ているように私は思います。要するに「本題」とは関連性の薄い暴言を、連呼的に言い放つ手法で、対話の相手の神経を逆なでするような形になっているということです。

 私自身は、さすがに相手のペースに乗せられてはいけないと考えながら、怒りをこらえて、「本題」であるいじめの問題の話を進めようと試みたわけです。従って「あんた」「おまえ」とかいう言葉の応酬とか「ばか」「あほ」とかいう言葉の応酬といった、低い次元のレベルの言い争いを行う事だけは私は回避しました。しかし、やはり相手が元々聞く耳を持たない人間だったりすると、どうしても話が進んでいかない、そうしているうちは対話も和解もできない、対立の溝が深まっていくばかりになると私は思います。

 結局のところ、私の経験上、教育行政そのものが「在特会」並みのレベルになってしまっているわけで、こうした状況を改善できない限りは、学校や教育委員会の保身体質は変化していかないわけです。ちなみに私自身は現時点で20代であり、中学卒業時は10年前くらい、という世代なのですが、10年前と現在とで、教育行政や学校現場の意識はなかなか良い方向には改善されていない、「悪い意味での変化の無さ」というものが現実なのかもしれないと思います(ある報道では大津の親御さんの方も「いじめ防止法以後でも教育現場の意識が変わっていない」とインタビューで言及なさっていたことが記憶に新しいですが・・・)。

 しかし、そうした保身体質が未だにはびこっている「現実」というものは、絶対に変えていかなければならないものと思います。


 もちろん、教育委員会と言葉の応酬となったときの私は、まだ若かったが故に、教育委員会の担当者が言い放つ暴言の数々、そして発言を強引にさえぎって話をごまかそうとするやり方の議論とかに耐え切れなくて、相手のペースに巻き込まれた部分もあったかもしれません。


 ただ、教育委員会の保身体質が、もはや「在特会」並みのレベルの議論を生み出す状況にまで陥っている、言い方を帰れば「在特会」と同じような感覚でしか他人と接する事ができていない人々が、いまの教育を動かしている、こうした現状の中で適切ないじめ対策が行えるとは思えないし、もっと広い範囲で見ると教育そのものの適切さが危ぶまれるものと思います。教育現場や教育行政において、ヘイトスピーチがまかり通っている現状。日本の教育って一体何なのだろう、と私は思います。そうした現状の中で、今でも多くのいじめ被害者やその親御さん達が傷ついたり追い詰められたりするケースが後を絶たない、その現状を私はとても悲しく思っています。


 いろいろと書きましたが、私の自分の経験をふまえ、今の中学生とか高校生とかでいじめの被害にあっている人や、その保護者で、教育委員会とやり取りをする必要性が生じた場合のことについて、アドバイスを少し書きます。教育委員会がいじめ被害者の心を逆なでするような発言を行っているのは、教育委員会側のある種の「作戦」的な部分があり、彼らは「本質的な議論」から話を遠ざけて単なる言葉の応酬に持ち込む手法で、「本題」の部分の議論がうやむやになることを意図している面があるということです。だからこそ、被害者側としては、教育委員会のペースに巻き込まれないよう、「どういうことで困っていて、どういう事を知りたいのか、どのような事を解決したいのか」という本題の部分の「軸」がブレないように話し合うことを第一に考えて粘り強く話を進めていくことが、問題の解決を前に進めるためには大切だという事です。私の経験が、「後の世代」の人々の命や人権を救うための参考になれば幸いですが・・・。
posted by ななこ at 02:52| 時事の話題 | 更新情報をチェックする
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