2013年09月09日

やっぱりテレビ番組の表現は酷い。それに、不必要な事や間違っている事を強要される社会は間違ってる。

 今日は東京オリンピックが決定した日ということで、体罰問題等の懸念から東京オリンピックに批判的な意見を持っている私としては色々と考えさせられる出来事でもあり、例えば体育会系的な体罰の問題が、オリンピックの喧騒の中でうやむやにされてしまうのではないかというデメリットも考えてしまいますが、東京オリンピックについては、このブログの今日の記事では触れません。日を改めてこの問題について書いていきたいと考えています。



 今日は、やはりテレビ番組の中で懸念すべき表現があって、ちょっと酷いなあと感じたことについて書きたいと思います。

 8/8に放送された民放のあるテレビ番組で、ある経済学者が、いわゆるヤンキーの人たちに「熱血授業」を行うとの趣旨の番組があり、私も一部分ですが偶然その番組を見ていたのですが、その番組において、講師役の人物が「下手に大学を出た人間が~」という表現をしていたり、その文脈の中で「大学卒は下手に考えすぎて口ばかり」とか「酒も飲まないから、物を買わないから悪い」的な発言をしていたり、あとは、いわゆるヤンキー人たちの上下関係を「会社の人間関係」になぞらえて賞賛するような発言をした描写もありました。

 私は、大学まで出た人間としての立場として、テレビ番組でこのような表現や描写があったということをとても酷く思います。特にその講師が政権に関与した経験のある講師だということで、そのテレビ番組が社会や教育にあたえる影響をきわめて危惧しているところです。


 ただし、まず前提として、私自身がいわゆるヤンキーを差別したり大卒が正しいと決めつけたりする立場ではないということをご理解いただきたいと思います。私がいいたいのは、この講師が、大学卒の人たちや、物事を熟慮しながら自身の行動を決める立場の人たちを「逆差別」している、あるいは「逆差別」を助長しているのではないかという事です。




 これも私自身の経験から言いたい事なので少し長いですが書かせてください(愚痴っぽくなるので嫌悪感を持っている人はこれ以上はお読みにならない事をお勧めします)。


 私の経験を述べると、以前からこのブログの記事でも触れているように、私は中学の担任とは険悪な関係にあった事もあるのですが、その担任は自ら「元ヤンキー」を自称していました(おそらく、某与党の某議員が「ヤンキー先生」を名乗って話題になっていた事に触発されている節もあったのでしょう。)。

 その担任がいわゆる「ヤンキー」を自称するだけなら別にかまわないのですが、その担任が普段から「成績がいいから叩かれるべき」みたいなことを平気で発言するくらいの人物で、そのため担任は私を目の敵にしていた経緯があります。また、私を理不尽な事で叩くことによっていわゆる「ヤンキー」の人たちからの人気を得る目的もあったのでしょうし、クラスの内情を知らない人たちからは「まとまりのあるクラス」と評価されてしまうほどの担任だったので、自分の評判のために私を「クラスをまとめるためのスケープゴート」とした意図もあったのでしょう。


 以前にも書いたとは思うのですが、あるときには、担任が、私が言ってもいない発言を事実であるかのように決めつけ、しかも、その上に、あたかも私がドイツの独裁者・ヒトラーを肯定したかのように決めつけて、私を「ヒトラー」扱いしたり、最後には「成績がいいから人を平気で傷つけるんだろ」「教科書ばっかり読んでるから悪い」みたいな結論を勝手に作り上げ、私のほうが悪者だと決め付けたという事も起こっています。このとき、私は、担任から、宿題の日記帳に毎日ざんげの言葉を書けと指示され、数ヶ月ほど、日記帳に毎日ざんげの言葉を書かされました。

 別の時には、ある同級生が、あたかも私がその同級生に対して変なあだ名をつけているかのような話をでっち上げて、その同級生の親がスクールカウンセラーに相談したという出来事があったらしく(ただしこの件については担任側が私や私の親に対して説明した中身が二転三転しているので正確なことが把握できていない部分もあり、本当にカウンセラーにまで話が及んでいたのかという事は定かではない部分もあるのですが)、その後、その同級生が「うそをついて親をカウンセラーのところに相談に行かせた」旨を認めたのですが、なぜ嘘をついたのかという問いに対して「○○(私の名前)が勉強の事を言うからむしゃくしゃした」という答えを返してきました。私はその同級生とはほとんど話をした事はなく勉強の話もしたことはなかったのですが、担任は私に対して「成績がいいのに勉強の話をするのは嫌味だ」「職員室では誰がテストで1番になるのかという話であんたの名前が挙がるくらいで、それなのに30点以下が3分の1いる、他の同級生に配慮が無い、他人を傷つける発言をしたから悪い」と決めつけるような事をしました。私は、その同級生と勉強の話をした事はないと説明したのですが、その担任は「あんたは成績がいいから、勉強の話をしていると取られて(解釈されて)当然なんだ」「成績がいいから嫌味だといわれて当然なんだ」と決めつける始末でした。その後、担任は、普段はまともに授業すらしない道徳の授業で、私が「発言したとされる事」の内容をでっち上げて、その上で「人を傷つける言葉とは」という題名で反省文的なものを書かせて授業を展開するといったこともありました。私は、自分が言っていないことを「反省文」として書かされるということはとてもつらい事だという事を感じました。


 そのほかにも、担任は私に対して「成績がいい」ことを理由に、理不尽な事を押し付けてきて、一方で、私に対して暴力や暴言をした人に対しては、まったく注意せず、何でも「あんたが嫌味だから悪い」「どうせあんたが暴言を吐いたんだろ」みたいな感じで私を悪者扱いし、担任の言動に同級生が同調してしまう状態でした。

 また、この一連の流れの中で起こったことは、担任のみならず学年主任などが「成績がいいのに勉強を教えないから、自習プリントを見せないから、不親切だから悪い」みたいな感じの事を主張していたということです。私はこの件については、いやというほど教師たちとトラブルになりました。なぜなら、私がプリントを貸したとしても同級生達は私のプリントを勝手にどこかに隠したり他の人に「また貸し」したりして、私は提出すべきプリントを提出できない時があったためです。そのため、私は担任や学年主任達には「一般的には勉強を教えたりプリントを見せたりといったことは友達作りにつながるのであればむしろそれもアリだと思っていますが、現実には同級生がなかなか返してくれなかったり、貸した後で嫌がらせが始まったりする現実があったりするので、今の時点ではプリントを貸すといったことが出来る状況ではありません」といったことを繰り返し説明しては来たのですが、担任たちは私の説明を「不親切な人間だから体裁よく(いじめっこ側の頼みを)拒否しているんだろう」といった感じで解釈するような状態が繰り返し続きました。

 そのため、先ほど書いたように、誰かが私に対して暴力や暴言をしたとき、担任たちは「成績がいいから人を平気で傷つけるんだろ」「教科書ばっかり読んでるから悪い」みたいな結論を出したりする、その流れの中で「成績がいいのに勉強を教えないから、自習プリントを見せないから、不親切だから悪い、おまえはまだ改善せんのか」といった中身も盛り込まれていて、そのため、私は同級生達にプリントを見せないといけない、勉強を教えないといけないという立場におかれる事になりました。一方で、私が自分の勉強をしようとすれば「休み時間に勉強するなっていってるだろ」といった感じで、教師たちが私の行動を制約するなどして、結果的に「休み時間に自分の勉強はするな、他の人に勉強を教えるのは良い」みたいなことが私だけに課されることが常態化するようになりました。まるで、いわゆるヤンキーの世界の「ぱしり」のような感じで、私はいきなり昼休みに同級生達から呼び出されて宿題をやらされたりした事もあります。(そうしたことを私が断ると、同級生達が担任に「報告」し、そして担任が私に対して「不親切な人間」ということで攻撃するといった事が繰り返されました。その中で、あるとき、私はある同級生から、私が通ってもいない塾の宿題を解くように要求され、私はその同級生の頼みを聞かざるを得なかったのですが、その後、私は他の同級生達から「塾の問題を解いたんだろ、××(私に問題を解くように依頼した同級生)の親に塾代を払え」と言われ、金銭をせびられたこともあります。)。

 こうした状況のなかで、同級生たちは私を「勉強を教えたりプリントを見せたりするのが当然の人間、教えなかったらあいつは不親切だ」という感覚になっていたのでしょう、中学を卒業して高校に行っても、あるいは大学にいっても(私は大学まで地元でしたから)、同級生達からの「勉強教えろ」みたいな頼みを聞かなければならず、しかし同級生達は私の説明は全く聞いておらずニヤニヤと笑っていたりする感じで、そのため私が同級生達の頼みを断ると、中学の時のような嫌がらせがまた始まり、あるときは私の実家の玄関でピンポンダッシュも起こるような執拗な嫌がらせがあったくらいです。

 中学の時の担任たちの指導が、後々の人間関係の中で「同級生間の上下関係」みたいになってしまい、これがいわゆるスクールカーストなのかとも思いますが、そうした中で、今思えば私は、同級生達から「ぱしり」役のような感じの役目をさせられていたということだとは思います。ヤンキーじゃない人たちの間でも、ヤンキーのように「ぱしり」を強要する行為を強いるといった空気が強まって言ったわけです。大学時代に自分の学業と同級生の勉強の面倒とが重なって体調を崩して、さすがにゼミの教授から「他の人の勉強は手伝わなくても良い」といわれて、改めて同級生達に断ろうと思ったのですが、同級生達に「反抗」した結果、本来は静かにしないといけない場所での口論に発展して第三者に迷惑がかかる形にもなったり、前述のピンポンダッシュなどの嫌がらせにつながっていったわけです。


 中学の時の担任たちの指導が、後々の人間関係の中で「同級生間の上下関係」みたいになってしまった、一因としては、元ヤンキーを自称する担任が私に対していわゆる「ぱしり」役を強い、私がその要求を断ると担任が私に対して「不親切な人間」ということで攻撃するといった事が繰り返され、同級生の暴言や暴力が「無罪放免」とされて私の成績の事まで攻撃されるような局面に陥る事態が常態化してしまう、そして私は同級生達の理不尽な要求を断れない立場にもなりました。これは、いわゆるヤンキーの世界の人たちというのは、危険な事などを、独特の「上下関係」の中で「ぱしり」として強要するなどのことがあるらしいので、そうした感覚をそのまま担任や学年主任が「指導法」として利用していたのだろうとも思います。




 ここまで話が長くなりましたが、冒頭で述べた民放のあるテレビ番組で、ある経済学者が、「下手に大学を出た人間が~」という表現をしていたり、その文脈の中で「大学卒は下手に考えすぎて口ばかり」とか「酒も飲まないから、物を買わないから悪い」的な発言をしていたり、あとは、いわゆるヤンキーの人たちの上下関係を「会社の人間関係」になぞらえて賞賛するような発言をした内容、これは私の経験から言って大変危険なものだと感じます。

 ヤンキーの人たちを差別する意図はありませんが、私は、成績が良くても悪くても、嫌がらせや「ぱしり」はあってはならないと思いますし、ヤンキーの感覚の上下関係が「会社の人間関係」となってしまえば、パワーハラスメントとかブラック企業的な感じになったり、恐怖で「上が下を」支配するような感じになってしまったり、あるいは過労や精神的な苦痛を招くといったことにもなります。人間はロボットではありませんから。それでも泣き寝入りを強いるというのであれば、それは人道上の観点から見ていかがなものかと思います。

 また、冒頭で述べたように、私がいいたいのは、この講師が、大学卒の人たちや、物事を熟慮しながら自身の行動を決める立場の人たちを「逆差別」している、あるいは「逆差別」を助長しているのではないかという事なのです。

 本来、いかなる学歴の道を歩んだとしても、やはり人権は大切にすべきですし、例えば消費行動ひとつをとっても、大学生に限らず一般の人は節約を考えるということも大切だと私は思います。大学時代の同級生で、親からの仕送りが滞って私に八つ当たりをして来た人もいましたが、別の人の話ではその同級生は浪費癖があったらしいという話もあったりします。貧しい生活を強いられている大学生も多いし、それは他の職業等でもいえると思いますが、限られた予算の中で財布の紐を締めるべきところは締めていくことも大切なのではないでしょうか。それを「下手に物を考えすぎて口ばっかり」といわれると非常に不愉快です。またこうした表現でいわゆる「ヤンキー」の人の人気を取る光景がテレビで放映されると、社会的にも、私の中学時代の担任のように「成績がいいから嫌味だ」とか決めつけて「ヤンキー」たちの人気を得ようとする「上の人間」の行為が教育現場や企業などで常態化する可能性もあり、「成績がいい人」「高学歴の人」への「逆差別」に繋がっていくと私は思います(だからといってヤンキーの人や中学卒などの人を差別する事はあってはならないということも同時に付記しておく必要はあると思いますが。)

 それに、いわゆるヤンキーの世界の「上下関係」といえば、基本的に「ぱしり」などの危険な事を強いたり、理不尽な事を強いたりするようなことが多いと思いますが、私が経験したことのように、たとえば学校の中で、ヤンキー的な「上下関係」というかスクールカースト的なものが強まると、ヤンキーじゃない人たちの間ですらヤンキーの世界の「ぱしり」のようなことが起きてきます。そうしたことの中で、理不尽な事を強要し続けて誰かが犠牲になることを強いるのであれば、それはやはり人権感覚に欠けた価値観だと私は思います。

 そして、私は、やはり物事を考えて最善の道を選んでいくという事、その上で誰もが行動していると思いますし、いわゆるヤンキーの人たちの感覚だけでの行動によって、時には弱い立場の人の人権が傷つけられる事もあるわけで、そうした事が起こらないように熟慮したり話し合ったりする事が本来は大切なはずです。「考えるな行動しろ」という無責任な発言、それによって、行動に追い込まれた人がいるとして、その行動が誰かの「意図」していた事に踊らされた結果となって、行動した本人の不利益になる事もあります。また、考えなき行動によって失敗して人生そのものが窮地に追い込まれたり命を絶つ人すらいたりします。また、なんらかの事について、自ら行動したくても様々な理由で(病気とか経済的理由とか高齢なためとか)、行動できない人もいます。

 また、不本意な行動を他者に強制する意図で「考えるばかりで口ばっかり」みたいな事を言っているとすれば、それはヤンキーの人たちの「ぱしり」を肯定するようなものであり、弱い立場の人に不本意な事や無理なことを強要するなどの嫌がらせを肯定することにもつながり、それはやはり人権感覚に欠けた価値観だと私は思います。

 冒頭で挙げたテレビ番組の講師のように無責任な発言の中で「行動しないから悪い」「物事を考えるから悪い」「口ばっかりだから悪い」という風潮が強まれば、弱い立場の人、少数派の人の意見が封殺され、一方で何かを行動しないから悪いという空気の中で、精神的、体力的に追い込まれる人もいると思いますし、また個人にしても企業にしても誤った方向に向かってしまってそれに歯止めをかける反対意見を出す人がいなければ、個人の人権の観点からも社会の公正さという観点からも極めて問題があります。




 正直、私自身はこの番組を見て、正直、吐き気がした位に気分が悪くなり、この文章を書きながらも気分が落ち着かない状態ではあるのですけれども、テレビの描写はあまりにも酷い表現だなあ、「成績がいい人」「高学歴」への「逆差別」やいじめを、あるいは「ぱしり」などの人権侵害を助長するひどい表現だなあと思います。

 私は、たとえ口ばかりだとしても、少数派であり続けたい。それは、自分が間違った方向に行かないために、あるいは組織が間違った方向に行きそうだったときに違う視点からの価値観を組織の中に入れていくことで組織の暴走に歯止めをかけるために。仮に自分が無力だとしても、自分の意見、自分の願いというものをどこかで言えるような社会になっていくべきだと私は思います。(というか公民の教育の場で自分の意見を表現する自由というのを教えていくべきというのが私の持論ですが。)

 偉そうな事を言って申し訳ないですが、自分の意見、自分の願いをきちんと言っていくということが大切だと、自分の経験から感じているところです。本当の民主主義の社会の長所を大切にすべきです。私は少数派であっても自分の意見を大切にしたい、そして私の言葉に共感してくれる人がいればそうした人たちを大切にしていきたいと常に思います。長い文章で読みにくい文章でもあるのでここまで読んでくださった方は少ないかと思いますが、ここまでの長文をお読みになってくださった方にたいしては、感謝を申し上げます。
posted by ななこ at 02:35| その他 | 更新情報をチェックする
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