2013年10月10日

連携を取るべき時には連携せず、組織内で隠蔽を図るなどの「悪い意味の連携」ばかりは積極的な、職員室の人間関係が教育の荒廃の要因の一つです。

 とある報道番組を見ていて、ある鉄道会社の相次ぐ鉄道事故の背景に労組どうしの対立があるということとか、一方の労働組合の不祥事となれば他の労働組合がそれに対して揚げ足を取ったり、別の労働組合の人には仕事でも連携をとらないなどの問題でシフトの体制にまで影響が及んでいるとか、そういったことが鉄道の整備の遅れに繋がって、その会社が起こしている、相次ぐ鉄道事故に繋がっているとの指摘がありました。

 このニュースを見ていて私が思ったのは、これは一般の会社に限らず、教育の現場における不祥事の問題についても同様の事がいえるのではないかということです。労働組合だけに問題があるとかの話は今日の記事の論点ではありません。ただ、職員同士で、例えば仲の良い教員が派閥を作って派閥争いになっているとか、教科ごとの権力争いが激しいとか、そういうケースだと何かと問題が起きてくるという事です。

 教育現場においても、職員室の連携が取れなかったり、職員同士で派閥抗争のような感じになっているところだと、いじめも起こりやすい、職員が「団結」するのは「いじめ隠蔽」のときだけ(つまり悪い意味での「団結」になってしまっている)、という悪しき構図が出来上がっているのだということ、これは漠然とした構図に見えるけれども、意外と組織に与える影響が大きい問題になっていると思います。

 そして、職員同士の争いのなかで、職員がイライラして特定の生徒に八つ当たりしたりとか、特定の教科が得意な生徒に対して「職員室内で敵対している教科」の教員がいびったりとか、そういう場面は、私自身も中学や高校の時にいやというほど見てきました。

 また、生徒の中にはそうした「職員室の内部事情」をどこかでチェックしながら、それに基づいて教員に媚びる生徒もいたりして、その中で、教員が気に入らない生徒の悪口(その悪口の真贋は別として)を教師に「情報提供」し、立場を有利にしようとする生徒もいたりしました。本当にいじめなどの相談なら教員と生徒が連携をとったり会話するのは当たり前ですが、一方で、事実ではない内容に基づいて、教員が気に入らない生徒を一緒に攻撃することで自身の立場を良くしようと考えて教員と連携をしようとする生徒もいることも事実であり、その背景には自分の立場を有利にしたり、内申書や推薦を意識して教員に媚びるために「職員室内の人間関係を利用しよう」とまで考える生徒達もいるということが、人間関係のひずみを大きくしているように思います。

 また、最も深刻なのは、職員室の連携が取れなかったり、職員同士で派閥抗争のような感じになっているところだと、職員が「団結」するために、「いじめ隠蔽」のときだけ団結しようとする、すなわち悪い意味での「団結」ばかりしてしまい、その「悪しき団結」の中でしか組織を維持しようとはしない、その「悪しき団結」の中で、スケープゴートにされた、弱い立場の生徒の人権が蹂躙される、そうしたことも起きているわけです。

 組織の体制維持のために特定の生徒を攻撃するときだけ悪い意味で「団結」し、まともな指導などを行うべきときについては、つまり良い意味では「団結」せず、といったことが、学校現場では恒常化していると思います。これではいじめは解決できないし、いじめ問題以外でも、たとえば学級崩壊や校内暴力の問題について対処できないなどの問題が起きますし、あるいは教科指導の向上のための連携すらうまくいかないというようなことにもなっていきます。

 こうして、色々な事を思うわけですが、職員室の中の「団結」が、連携を取るべきときには連携しないのに、組織内で都合の悪い事を隠蔽したり、利害関係が一致して特定のターゲットに対して教員主導でいじめを行ったりといった「悪い意味の団結」ばかりになってしまう事に問題点があると私はおもいます。

 私自身、中学や高校の時、生徒の立場からみても、たとえばいじめ問題への対応をめぐって教員から受けた酷い仕打ちやそのときの教員の発言とか、あるいは係活動や掃除当番の時に職員室と連携を取るべきときの職員側の理不尽な対応とかから、個人的に「職員室の人間関係の劣悪さ」を強く感じた場面も多くありました。私自身、この問題については色々な事を思うのですが、これ以上書くと、訳がわからない文章になってしまうと思うので今日の記事はここまでにしておきたいと思います。
posted by ななこ at 01:21| その他 | 更新情報をチェックする
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