2014年04月05日

鹿児島・出水市のいじめ問題。アンケート開示を求める訴訟の件について思うこと。

 2011年の大津市のいじめ問題と同じ時期、鹿児島・出水市でもいじめを苦に自らの命を絶った中学生がいます。大津のケースでもいじめアンケートの開示をめぐって争いになりましたが、大津の場合はマスコミ等で大きく報じられた影響もあり、最終的にアンケートの開示が実現しました。一方、鹿児島のケースの場合、教育委員会がアンケート開示をかたくなに拒んでいるなどの隠ぺい体質が根強いものとなっていて、被害者のご家族がアンケート開示を求める訴訟を提起する事態になりました。

 今回のアンケート開示をめぐる訴訟についてまず知っておくべき点として、今回のアンケート開示の訴訟というのは、あくまで「アンケート開示を求める」ものであり、この訴訟で仮に被害者側が勝訴しても、一番の本題である「いじめの存在を認めさせる、あるいは学校・教育委員会側の責任を認めさせる」趣旨の裁判は別途行っていくということです。逆に言えば、一番の本題とすべき裁判の証拠となりうる手がかりを得るために、別の訴訟を提起せざるを得ない状況になってしまっているという事だろうと思います。

 一般的にいじめをめぐる裁判では、「いじめの存在を認めさせる、あるいは学校・教育委員会側の責任を認めさせる」ことが主な趣旨となっていて、国家賠償法や民法における安全配慮義務が争点となります。しかし今回の出水市の事例では、そこに至る前の段階で既に時間がかかってしまっているわけで、それだけ教育委員会の保身体質とかが根強いものとなっているといえます。

 すなわち、出水市の事例の場合は、他のケースと比較しても裁判がかなり難航している、俗っぽくいえば「どろ沼化」してしまっているわけです。一般的に、いじめを苦にして自らの命を絶った方のご家族が、「いじめの存在を認めさせる、あるいは学校・教育委員会側の責任を認めさせる」趣旨の裁判を戦うというのは、十年以上かかるケースもあるわけですが、今回はさらに長い年月がかかるのではないかと懸念されます。



 ところで、いじめ防止法がこの訴訟においてどのように考えられうるのかということ。この法律では、被害者のご家族に対して必要な情報を提供すると明記されているのですが、ここで問題になる点として、事件が起きたのはいじめ防止法の施行前ということが少し気がかりな点です。

 司法側が被害者側の人権に配慮して、いじめ防止法の趣旨を、いじめ防止法施行前の事件に遡及して適用し、被害者の主張を聞き入れた判決をしていただくことを期待したいものです。いじめ防止法が、刑法などの刑事法的な性質のものではないということ、そして「アンケートの不開示」を覆すことは被害者の人権の保護に資する(少なくとも被害者の人権を新規に抑制するような不利益処分ということにはあたらない)ことなどから考えると、遡及的にいじめ防止法の趣旨を施行前の事件にも適用するという余地はあります。私個人としても、刑事法ではないということと、いじめ防止法が被害者の持つ権利をより広範な範囲で保護しようという趣旨があると考えられる以上、ご家族側にとっての人権の救済という観点から、遡及的にいじめ防止法の趣旨を汲み取るべきだと考えています。

 あるいは、今回のケースだと、事件そのものはいじめ防止法以前の時代の話とはいえども、「アンケート不開示」を行政側が正式に決めたのはいじめ防止法がつくられた後の事なので、遡及云々を考えるまでもない、という見方もできるでしょう。そうなると、教育委員会側の決定は、どう考えてもいじめ防止法に違反しているものなので、その違反を正すという意味で「アンケートの不開示」を覆すべき、そして被害者のご家族の主張に沿った判断がなされるべきと私は思います。





 こうした法律論は、私自身は法律の専門家ではないので、専門的な話まで説明するのは困難です。この記事で書いた法律の話は私自身の考えというか個人的見解として軽く捉えていただければと思います。


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 ただ、以前の記事で書いたとは思いますが、私自身も中学時代を鹿児島で過ごしたということもあり(といっても鹿児島市内ですが)、私自身の個人的経験としては、学校の隠ぺい体質とかも目の当たりにしたし、学校ぐるみの口裏あわせとかもいやというほど経験したし、教育委員会の担当者から暴言を浴びせられていやな思いをした事もあります。

 出水市の事件では、加害者側がアンケートの不開示を教育委員会に求める(教育委員会の主張に沿ってる形ですが)そして教育委員会が加害者側に同調する形を取っている、そのため町の世論も二分されているということも、一部の報道で伝わっているところではありますが、出水市の事件でみられる「加害者側と教育委員会側の同調」の状況をみていると、やっぱり、私自身が中学時代に受けたいじめの時を思い起こさざるを得ないのです。


 私自身がいじめを受けたときも、PTAと学校側が口裏合わせして保身を図っていたりとか、そもそもPTAと学校側の話し合いに私や私の家族が同席を許されず、結局学校側がPTAと同調した見解を出してたりとかも目の当たりにしました。更には、学校側は、同級生達が私に対して行った暴力や暴言などについて隠蔽した上で、今度は私に対して事実無根の罪を着せてくる手法で、組織的ないじめの隠蔽を図ったわけです。要するに、私の知らないところで私の親だけが学校側から呼び出され、私の同席のないところで、学校側が「生徒指導」という形で、私の親に対して、私にとって見に覚えのない「問題行動」をでっち上げて、私の事を中傷するようなことをしてきました(当然私はその場に居合わせていないので反論できないまま、学校側から不当に人格を貶められた)。一方で同級生達が私に対して行った暴力や暴言などについては隠蔽する状態でした。さらにそのときの話が引継ぎなどを通じて学年をまたいで勝手に流布されて、その結果、私が他の人から暴力や暴言を受けても、私のほうが悪者扱いされる(そのたびに私がやってもいないような発言や行動が繰り返しでっち上げられ、それが積み重なって「前科」のような形となって、それが更に別件の時に「前例」として持ち出されて、再び私のほうが悪者扱いされる、そしてその繰り返しになっていくという形になる)、そうした学校現場の実態をいやというほど経験しました。


 私自身が受けたいじめの時と、今回の出水市の事例の場合とでは、「加害者側と学校・教育委員会側」がいじめを隠すために悪い意味での「協力関係」になってしまっている点でまるで「瓜二つ」のように映ってしまいます。その意味で、私個人としては、出水市の事例はやっぱり私自身の中学時代の経験と重ねて考えてしまいます。なんだか他人事とは思えないのです。

 そもそも、私自身の体験以外のケースでも、やはり教育委員会に相談していやな思いをした、という方々の体験などを耳にした事も多々あります。出水市の事例をめぐる教育委員会のひどい対応も、悪い意味での「想定の範囲内」といえばそれまでなのかもしれませんが、やっぱりこうした酷い現状は本来なら「あってはならないこと」でもあるわけです。個人的には、自分の経験もふまえて、出水市のいじめの件で微力でも手助けできればいいけれど、と思うこともあるけれど、現実問題としては、単に「被害者のご家族を陰ながら応援する」ということくらいしか力になれないという悔しさもあります。



 最後に、出水市の事件の場合、被害者の祖父の方は現在60代の高齢でありながら、お孫さんの無念を晴らそうと精力的に頑張っていらっしゃるわけです。一日も早く、被害者のご家族の方々の主張が認められる日が来てほしいと陰ながら願っています。
posted by ななこ at 02:45| いじめ問題 | 更新情報をチェックする
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