2014年12月10日

体罰教師の処分の判断基準に、生徒の「非行」の有無を関連付けるなら、無実の生徒が教師達によって「非行少年・非行少女」に仕立て上げられる「冤罪」を生むだけ

 ちょっと首を傾げたくなるニュースが飛び込んできたので記事にします。大阪市の教育委員会が、体罰を行った教師を処分するにあたっての基準として、体罰を受けた生徒側に非行などがあったか否かを判断材料とすることが明らかになったことが一部マスコミで報道されています。


 この件に関して私が危惧しているのは、体罰を行う教師側が、処分を免れる意図で、体罰の被害を受けた生徒にたいして、その生徒にとって見に覚えの無い「非行」の内容をでっち上げるような事をするのではないかということです。被害者側の立場からすると、体罰の被害を受けただけでなく、今度は事実無根の罪を着せられて、ありもしない事を根拠に「非行少年・非行少女」というレッテルを貼られる、そして体罰教師は処分を免れてしまう、ということが起きてしまうのではないか、少なくとも私の経験上から言わせてもらうと、そうしたことを危惧せざるをえません。


 いじめ問題などで、教師や学校側、教育委員会の隠蔽体質が浮き彫りになっていて、教育行政とか学校現場とかでは、物事を隠蔽するために平気でウソをついて事実関係を歪曲したりすることが横行しているという事が社会問題となっているはずなのです。教師側による「事実関係の歪曲」という行為に対して明確な防止策が提示されていない中で、体罰教師の処分の判断材料に生徒の非行の有無を基準とするのであれば、本来は非行生徒ではない生徒が、体罰教師の自己保身のためにあたかも「非行行為がある生徒」であるかのようなレッテルをはられるという「二次被害」を受けてしまうことが横行するのは目に見えています。


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 私自身、学校でいじめの被害を受けていたときに目の当たりにした学校現場の現状を書くと、学校側は、同級生達が私に対して行った暴力や暴言などについて隠蔽した上で、今度は私に対して事実無根の罪を着せてくる手法で、組織的ないじめの隠蔽を図ったわけです。要するに、私の知らないところで私の親だけが学校側から呼び出され、私の同席のないところで、学校側が「生徒指導」という形で、私の親に対して、私にとって見に覚えのない「問題行動」をでっち上げて、私の事を中傷するようなことをしてきました(当然私はその場に居合わせていないので反論できないまま、学校側から不当に人格を貶められた)。一方で同級生達が私に対して行った暴力や暴言などについては隠蔽する状態でした。

 今回の記事も私自身の経験について、書ける範囲ですこし書きたいと思います。以前書いた記事と重複する内容のこともありますが、説明上省略できない内容のものもあるので、以前の記事と重複する部分もある点をご容赦ください。




 中学1年のとき、担任がいじめっ子達と結託していて、私のいないところで「証言集」みたいなものをまとめていました。その「証言集」作成の過程で、担任といじめっ子達によって事実関係が歪曲され、事実ではない内容ばかりがあたかも事実であるかのように「口裏あわせ」されていて、私にとって見に覚えの無い出来事が次々とでっち上げられ、あたかも私が問題児であるかのような、私にとって見に覚えのない事実無根の話が勝手に作り上げられていったわけです。

 中学1年の1~2学期の段階で既にいじめがひどくなっていて、私自身も毎日の嫌がらせに耐えていて1週間ほどの不登校の時期があり、私が不登校の時に、私の親がストレスに起因する疾病で緊急入院する事態になったりしたこともあり、そのことを受けて私自身も学校に行くようになったのですが、それでもいじめはひどくなっていく一方でした。12月に学校側がPTAを集めて緊急集会を開くことになった(この集会は学校側主導の話し合いであり、私や私の親としては、加害者の保護者の呼び出しという厳罰的な対応はかえって逆効果になる可能性があるため、別の穏便な手段をとってほしい旨を学校側に述べていたのですが、結局は学校側がこのPTA集会を強行した経緯がある)とはいえども、私や私の親は別室待機ということになっていて、いじめっ子の親と学校関係者のみの話し合いとなっていて、いったいどんな内容が話し合われたのかはほとんど公開されることもありませんでした。しかも、いじめっ子達やPTAの間では、その集会があたかも私や私の親が要望したものであるかのような話が流布され、いじめが一層エスカレートしていきました。私や私の親が危惧していた最悪の事態を招いた形でした。

 こうしてエスカレートしたいじめは、正月を挟んだ後の3学期に、担任教師といじめっ子達による「口裏あわせ」によって隠蔽される事態になったのです。その後の学校の「指導」方針といえば、加害者たちが担任と結託して、私に関するうその中身を学校の中で言うようになったり、私のいないところで私の親だけが呼び出され、私に関する嘘の「問題行動」をでっちあげることで、私を「ウソツキ」扱いして自らの保身を図っていたりするような状態になっていきました。


 当時の担任は、担任としての業務はほとんど副担に任せるばかりの状態になっていき、3学期の時には、副担任のほうが本当の担任なのではないかといわざるを得ない状態でした。朝の会や帰りの会、給食などですら、担任は週1回出席するかしないかというような感じで、ほとんどの日は副担が事実上の担任というような感じになっていったわけです。

 そして、担任が教室に顔を出すときといえば、私に対して何かとイチャモンをつけて怒鳴りつけてくる時だけでした。クラスの中でのいじめが激しくなっていったため、担任はクラスの中のいじめを隠すために、私に対して身に覚えのない内容をでっち上げて糾弾する、そのための布石として私に対してなにかとイチャモンをつけてくる感じというか、もはやそれがクラスに顔を出す主目的になってるのではないかと言わざるを得ないほどの状況でした。

 あるときには、あたかも私が使用した給食着を洗濯して来ていないかのように、担任がいきなり話をでっち上げてきて私に対して決めつけてきていきなり教室で激昂しまくるというような感じのときもありました。この件については、実際のところ、私が使用して自宅で洗濯した後で所定の場所に返却していた給食着を、他の生徒が、私が返却したあとでぐちゃぐちゃにしていて、そのため、私に対してあたかも「給食着を洗ってきていない」かのように担任が決めつけてきた、という経緯もあります。別の同級生が「他の人が勝手に自分の番号以外の給食着を着ている例もある」と証言したため、私の無実は証明されたものの、その後、他の人を注意するということもなく、単に私が「犯人」ではなかったということが他の生徒の証言によって証明されたということについて、担任が勝手に苛立っていて、担任の機嫌が余計に悪くなったというだけの状況でした。

 ほかの時でも、給食当番がスプーンを2,3本ほど落としたため、それを給食当番本人が拾って洗いに行ったことについて、私は給食当番がスプーンを落とした現場から場所が離れていた座席だったにもかかわらず、担任は私を呼び出して「スプーンを拾わなかった不親切な人間」と決め付けてきて、私一人に対してだけ怒鳴りつけてきたりしたこともありました。他の給食当番とか、あるいは当番がスプーンを落とした現場に近い座席の人たちには何も言わないのに、担任はなぜか私だけを呼び出して、私に対して怒鳴りつけてきたのです。この件については、後に私の親が呼び出された際、担任や学校側は、スプーンの本数を「20~30本」と偽って私の親に対して説明し、わたしの事についてあたかも「給食当番がスプーンを大量に落としたのにそれを見てみぬふりをした自己中心的な人間」であるかのように話を捏造して、私の人格を貶めてきたという出来事も後に起こってしまい、ますます話がややこしくなってしまいました。事実関係としては、給食当番がスプーンを2,3本ほど落として、それを落とした本人が拾って洗いに行っただけの話なのに、当番が落としたスプーンの本数について学校側が「20~30本」という形で捏造した結果、私はあたかも「給食当番がスプーンを大量に落としたのにそれを見てみぬふりをした不親切な人間」であるかのようにイメージ付けられたということです。これも理不尽な話です。


 他にも、私は当時掲示物の掲示係だったのですが、正月の目標を書いた紙について担任は全員分を預かっていて、その掲示物を掲示する旨が2月になっても私のところに指示されることもなく、私自身も「いつになったら正月の掲示物が引き渡され、掲示すべき旨の指示が出るのだろうか、ちょっと遅すぎるのではないか」と思っていた矢先だった上、前述のように担任自身もクラスに顔を出す事が少ない状態だったので私としても連携すら取りにくい状況に困惑していた状況だったのですが、あるとき、このときの正月の目標を書いた紙を、担任が、これまで保管されていなかったはずの教卓からいきなり取り出してきて、私に対して「掲示物を張れって指示したのに、指示を守らない、いつになったらこれを掲示するんだ」みたいな感じでいきなり怒鳴りつけてきたという事もありました。私の立場から見れば、この掲示物については担任が預かったままの状態で、その掲示物を掲示すべき旨が指示されていない上に、担任がいつまでこの目標の紙を預かったままなのだろうかと疑問に思っていたところだったのですが。いきなりこんな形で、担任があたかも私に「指示を守らなかった、掲示物係の仕事を守らなかった人間」であるかのように、本来指示が無かった掲示物について、あたかも私の怠慢によって掲示されなかったかのように話を捏造してきて、みんなの前で怒鳴りつけてくる始末でした。その直後、私は担任から渡された掲示物を掲示したのですが、翌日、担任は朝の会に顔を出してきて「正月の目標だったのにもう2月になってしまいました、掲示物係がやっと紙を張ってくれました」みたいな感じの嫌味を延々と話し続けるような始末でした。担任が2日連続で朝の会に出席するのはこの時期としては珍しい現象で、しかも2日連続で私に対して攻撃的な態度を取ってきて、それ以外の時にはクラス担任の業務のほとんどを副担に任せっきりだったことからわかるように、担任は、もはや私の人格について貶めるような内容の話を延々と朝の会で演説する目的のためだけにクラスに顔を出しに来たのだろう、といわざるを得ない状況でした。当然、こんな状況では、他の同級生達も担任に同調して、私に対して「指示を守らず掲示物係の仕事をサボった」と決めつけてきて、いじめや暴力が一層エスカレートしました。しかも、掲示物係というのも私一人ではなく他の生徒も同じ係だったのに、ほかの掲示物係の生徒には、担任も同級生達も何も言わず、私一人に対してだけ集中攻撃的でした。しかも実際に掲示物係の仕事は私一人で行い、ほかの掲示物係の生徒達のほうがむしろサボっている状況だったのにもかかわらず、なぜか私だけが糾弾される流れになって行きました。それに、指示がなく掲示物も引き渡されていない状況なのに、私があたかも「怠慢によって掲示物係をさぼった」かのように話を捏造してきて担任が決めつけてきて、執拗にこのことを朝の会で延々と演説しまくる状況、このこと自体も異常でした。


 こんな状況が続き、あるとき、私は担任から呼び出され、体育教官室という密室の場所で、身に覚えのない「問題行動」をでっち上げられ、しかも同級生達が「証言」したとされる内容がまとめられ、「お前一人だけが違う事を言っている」みたいな感じで、私にとって見に覚えのない内容、いわば「冤罪」を着せられる形になったわけです。この時の話が元になって、私の知らないところで私の親だけが呼び出されて、私にとって見に覚えのない内容が学校側によってでっち上げられる流れになるのです。

 同級生達が教師と口裏合わせをして私に対して「冤罪」を着せてきた出来事は数多くあります。例えば、クラスの中で、同級生達が私に対してブーイング(親指を下にしながら暴言を吐く動作)をする事が流行している事に関して、担任や学校側は、あたかも私がこのブーイングの動作を他の生徒に対して行っているかのように、いわば「加害・被害」の関係を逆にするような捏造をしてきました。

 また、私がある男子から羽交い絞めにされ、別の男子から顔面を殴られたときの事についても、担任や学校側は、あたかも私が他の男子に暴力を振るおうとしたかのように話を捏造してきて、私を羽交い絞めにした男子の行為については、私が他の人に暴力を振るおうとしたのを止めただけ、というような形で、話の事実関係を捏造してきたのです。普通に考えて、私は他人に暴力をすることは倫理的にみても、あるいは力関係的にみても絶対にありえないし、また、私の顔面を殴ってきたのは男子たちのほうなのに、学校側はこのような形で話を捏造してきたのです。

 さらには、給食の時に牛乳パックをまとめて折りたたむ(班で最初に飲み終わった人が牛乳パックで箱を作り、2番目以降に飲み終わった人が牛乳パックを折りたたんでその箱に入れていき、最後に飲み終わった人がその牛乳パックを給食当番用の台に持参する)作業についても、班の人たちが、本来なら最後に飲み終わった人が持って行くべき牛乳パックについて、集団で私に押し付けてきて「おまえが毎回(牛乳パックを)持っていけばいいんだ」みたいな感じで暴言を言いつづけてきて、給食中に私に対して給食時間の度に牛乳パックを叩きつけてきたりとかの事もあったのですが、その話についても、学校・担任側は、あたかも私が「班のルール(彼らの主張によると「飲み終わった人の机に牛乳パックを置いておき、次の人が飲み終わった時点でその人が牛乳パックを取って自分の場所に置く」といった趣旨らしい)を守らなかった」かのように決めつけてきて、さらには、「班のルールについては別の女子から聞いていたはずなのにそのルールを守らなかった」人間であるかのように決めつけてきたという出来事もありました。この件について、私が別の機会の時に、この問題について「牛乳パックを叩きつけられて"お前が最後に持っていけ"といわれた」旨を証言したはずのことを、あたかも私が「"お前が最後に持っていけ"と"いわんばかり"の状況だった」と証言したかのように学校・担任側は捏造してきて、また、彼らが主張する「班のルール」なるものも、私は聞いていないということについて述べたにも関わらず、学校・担任側は「班のルールを聞いていたと証言していたはずだが、都合が悪いと話がコロコロ変わるんだな」と決めつけてきて私の人格を貶めたのです。しかも、彼らが後付けで主張している「班のルール」なるものも、彼らの主張によると「飲み終わった人の机に牛乳パックを置いておき、次の人が飲み終わった時点でその人が牛乳パックを取って自分の場所に置く」といった趣旨らしいのですが、そもそも同級生達が私に対して毎日のように牛乳パックを叩きつけてきたり押し付けてきたりした背景からみても、そんなルール自体はあるわけもないのは明白だし、「ルール」自体が彼らの中で仮に存在するとしても、その「ルール」は少なくとも守られてはいない、あるいは私に対して牛乳パックを押し付けたり叩きつけたりする内容のいじめを同級生達がごまかすために後付けで作った「ルール」なのでしょう。いずれにせよ、牛乳パックをめぐる一連の内容について、学校・教師側は「いじめ」の存在そのものをごまかすために私に罪をなすろうとしてどんどん後付けで話をでっち上げまくるわけですから、そもそも学校側と話がかみ合わない状況のまま話が混乱していくばかりでした。

 さらには、私は他の生徒に対して「言う事を聞かないと教育委員会に言うぞ」という脅し文句などは発言したことはないのですが、あたかも私がこのような脅し文句を言ったかのように学校側が捏造し、しかも「目撃者」として、私とは面識がないはずの、当時の卓球部の顧問がこの話を「目撃者」として証言するなどのこともあったらしく、その話は私自身に事実確認の話すらないまま、私の知らないところで、学校側が私の親に対して勝手にこのような虚偽の話を「生徒指導」という建前を使って説明したという出来事もあり、これも私の人格が不当に貶められる状況になりました(後に知人の先輩の親御さんから私の親が聞いた話によると、学校内の部活の顧問人事をめぐって、卓球部の顧問がバスケ部の顧問に鞍替えしようとしていた事情から、卓球部の顧問が、当時バスケ部の顧問だった私の担任に対してゴマをする目的で、私の担任が私の事を気に食わないという事に着目して、私の担任に対してすり寄る目的で、本来面識のないはずの私の事について事実無根の事をでっち上げて私の事を貶めたのだろう、ということも、かなり現実的な話として伝わっています。)


 ほかにも、あたかも私が他の人の文房具を壊したかのような話だったりとか、成績が良くないとされる人に対してあたかも私が馬鹿にしたような発言をしているかのような話だったり、とか、様々な話を学校側はでっち上げてきました。


 このようにして、私にとって見に覚えのないこと、自分がやってもいない事を学校教師によってでっち上げられ、私のいないところで、同級生達と口裏合わせして教師が「証言集」みたいなものをまとめあげてたりして、しかも、この「証言」を基にしたと思われる内容について、それがあたかも事実であるかのように、学校側は、私のいないところ(当然、私には反論の機会すら与えられなかった)で私の親に対して、私に対して事実確認も行われていない出来事まで含めて、学校側は私のことについて私の親に対して事実無根の中傷を行ったわけです。背景には、私が学校でいじめを受けていたことについて、学校側がいじめを隠蔽するために、事実関係を捏造して私に罪を擦り付ける事で、私の人間としての信用を貶めるやりかたでいじめ問題に関する相談などを封じ込めようというような学校側の意図があったわけです。

 そして、このような事態が起きた背景としては、教師側としてはいじめを隠蔽したいという意図があり、加害者側はいじめの責任を私に擦り付けたいという意図があり、その意味で教師と加害者側とは(悪い意味での)利害が一致しているという状況もあるわけです。

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 ここまで中1の時に私が目の当たりにした出来事について書きましたが、私の経験上、学校側・教師側・教育委員会側は、物事を隠蔽するために、いじめっ子達と結託して事実無根の事をでっち上げてきた挙句に、それがあたかも確定された事実であるかのように振舞い、数の力で口裏あわせすることによって加害者や教師達が「事実関係を歪曲する」やりかたで、私に対して「ウソツキ」扱いし、さらにはそのときの話が引継ぎなどを通じて学年をまたいで勝手に流布されて、その結果、私が他の人から暴力や暴言を受けても、私のほうが悪者扱いされる(そのたびに私がやってもいないような発言や行動が繰り返しでっち上げられ、それが積み重なって「前科」のような形となって、それが更に別件の時に「前例」として持ち出されて、再び私のほうが悪者扱いされる、そしてその繰り返しになっていくという形になる、そんな経験ばっかりをしてきました。

 中1時点でこうなってくると、中2以降、担任が変わっても、状況はますます酷くなる。いじめっ子達はわざとらしく「教師にばれる」形でいじめの内容をより激しいものにしていくことになります。たとえば、私が同級生達から暴力や暴言などを受けている現場を教師が見つけた場合、いじめっ子達はその時その時のトラブルの経緯について「口裏あわせ」する手法で、私がやってもいない事をでっち上げて教師に「報告」していき、それに教師が無条件に同調していく(教師側はいじめを隠蔽したいという意図があり、加害者側はいじめの責任を私に擦り付けたいという意図があり、その意味で教師と加害者側とは利害が一致しているために、事実関係の解明よりもいじめの隠蔽のために私に罪をなすりつけることを彼らは優先していた)、という流れが出来ていました。そうなると加害者にとっては、いじめを激しい形にして教師に「わざとばれる」形にした場合、教師がその流れを使って私に対して「生徒指導」の建前で、私にとって見に覚えのない罪を擦り付けていき、一方の加害者はお咎めなし、ということが続いていきました。

 こうしたやり方によって、中2以降も私は、学校側によって、本来はありもしないことを次々にでっち上げられ、同級生達から殴られたりして教師が介入する事態になったとき、むしろ私のほうがつるし上げ対象にされてしまう。

 そうしたなかで、私にとって見に覚えのない内容、たとえば「ある男子にたいして、変なあだ名をつけた」とか「成績のよくない同級生に対して嫌味を言った」とか「交通ルールを無視して道路を渡った」とか「歴史の成績が良いからドイツの歴史も知っているはずなのにナチスを肯定する発言をして同級生を迫害する旨の発言をした」とか「修学旅行の自主研修のコース決めで自分の体力のなさを優先させて同級生達の意向を反故にした」とか、他にもいろいろな内容がありますが、様々な事で、私にとっては見に覚えのない内容を次々にでっち上げられる日々が続きました。中にはPTAから私に対して「うちの子に対して勉強の事を聞いてきた、成績がいいくせに嫌味で言ってきたのか」という旨のクレームが来たということも含まれていて、これも私は勉強の話をしたことがない相手からのクレームであり、これも担任は私に対して事実無根の話をでっちあげてきて罪をなすりつけようとしたわけでありますが、ただPTAからのクレームと言う事になると、いじめっ子の保護者側がウソをついているのか、それとも教師側がウソをついているのか、いったいどんな経緯でそんな話になったのか私にとって全く分からないものもあります。

 中2の3月のときには、とある男子から殴られて顔中が腫れるほどになったこともありますが、そのときでも、私はその男子に「私は理由無く人を殴るような人間にはなりたくない、なんでそんなことをするんだ」と言った事に関して、学校側が言葉を意図的に捻じ曲げて、あたかも私がその男子に対して「お前みたいな人格になりたくない」と言ったかのように教師側が話を捏造してきて、しかも教師は私に対して「中2が終わるまで毎日、生活の記録(宿題の日記帳のようなもの)にざんげの言葉を書き続けろ」と命令してきて、中2が終了するまでの数週間、私は毎日ざんげの言葉を書かされました。殴られて顔が腫れたりしたこと、教師によって私の発言が意図的に捻じ曲げられて解釈されたことへのショックから、私はこの騒動の後約1週間ほど欠席して寝込んでいた、ある種の不登校に近いこともあったのですが、その1週間の時期も含め、そして学校に復帰してからも含め、中2が終るまで、毎日、「ざんげの言葉」を呪文のように書かされ続けました(このときの「生活の記録」については、後に担任側が私に返却しないまま、中3に進級してそのまま卒業した形になっていました。ちなみにこの騒動の時に、学校側・いじめっ子側の意図に沿う形式で無理やりに書かされた別紙の「反省文」について、担任は「あんたが卒業した後も、あんたはこんな事を中学の時にやらかした人間だったんだということを証明する為に、(反省文の紙を)ずっと取っておく、残しておく」と言う趣旨の事を言っていた事もあったので、この件に関しては、私は、卒業後に中学に対して、このとき返却されなかった「生活の記録」(日記帳)の返却と、当時無理やり書かされた反省文の開示を要求したのですが、学校側は「そんなものは残っていない」「廃棄した」という対応の繰り返しでした。


 私としては、自分では見に覚えのない事については無実である旨を主張しますが、ただ、私自身も自分の身を律していかなければ信用されないということはわかっていたので、私自身は言質をとられないよう気をつけていても、相手は「何か騒ぎを起こして、その騒ぎを利用して今度は罪をなすりつけよう」ということに躍起になっているわけですから、なかなか騒ぎが収まるわけでもなく。

 そして、学校やいじめっ子達が事実無根の事をでっちあげてくるたびに、私や私の親としては、個々の内容について事実関係を説明し、証明出来る内容については事実関係を証明して私自身の無実を証明する形をとっていきましたが、私が無実を証明するために自分の意見を言ったり、親に相談したりした事自体にも、いじめっ子達や教師、PTA関係者たちは機械的に反発を強め、次第に「自分の意見ばかり押し付けやがって」とか「成績がいいから嫌味なんだ、これくらいの事をやられて当然なんだ」とか「またママに言うのか、過保護だ」とか、色々な事を言ってくるわけです。いじめっ子たちや教師側とすれば、私に罪をなすりつけようとして、結果としてその目論見が外れたことにたいする反発なのかもしれませんが、彼らは私に対して自己中というけれど、私の目からみれば、いったいどちらが自己中なのか、教師やいじめっ子達が、一連のいじめの事に関して自らの保身のために事実無根のことをでっちあげて私を貶めてくる、そのやり方のほうがよほど自己中なのではないか、といいたくなる状況がたくさんありました。

 とにかく、こうした状況下で、私が同級生から暴力や暴言などを受け教師が介入する自体になったとき、いじめっ子達のほうがむしろ喜ぶ、という結果を生んでしまう形になってしまいました。また、いじめっ子達の中の一部は、内申書対策とかも意識していて、そのため、教師に気に入られようとして、教師が一連のいじめの隠蔽に躍起になっている状況にいじめっ子達がさらに同調し、教師たち主導の「事実関係の歪曲」のための口裏あわせに、いじめっ子達がより積極的になっていた面もあったと思います。



 また、こうした状況の背景には内申書の存在もあり、いじめっ子達が私に対して罪をなすりつけようとする目的としては、一連のいじめに関しての責任を私に擦り付ける意図とか、教師側をいじめっ子の味方についていることを背景に、騒動が起きれば今度は教師が私に対してつるし上げてきて、騒動を起こしたいじめっ子達本人はお咎めなし、という状況をつくりあげようみたいな一種の嫌がらせ的な意図とかのほかに、「事実無根のことを内申書の評価を落とさせ、受験に失敗させよう」というような意図も見え隠れしていました。

 いちばん分かりやすいのは、私がある同級生グループから廊下で暴力を受けていたとき、いわゆる「非行グループ」に属するような男子たちが、一旦はその暴力に対して「やめてやれよ」みたいなことを言って制止に入るわけですが、今度は私に対して暴力とかをして来たグループの人たちが「あんな連中と友達なのか、あんなヤンキーに助けてもらうのか、内申書がやばいぞ、おまえみたいなのが高校にいけるもんか」と言うような事を言い出し、その発言になぜか「非行グループ」の人たちが同調する、そしてあたかも私が非行グループの人たちと仲間であるかのような話が一人歩きし、ありもしない男女交際話とか、いかがわしい場所への出入りなどの「目撃談」をでっち上げられていく流れになっていく、そうしたことが繰り返されていきました。

 不自然なのは、このときの非行グループの人たちの対応です。彼らは「ヤンキー」「仲間になれば内申書がやばくなる」ということをこの話の流れで言われているわけですから、普通なら彼らはこうした事には怒り出したり暴れたりするような人格なのですが、このときに関しては、他のいじめっ子たちと同調して、その「非行グループ」の人たちも私に対して「内申書がやばいぞ、おまえみたいなのが高校にいけるもんか」ということを言ってくること、この流れからみると、私に対して暴力とかをしてきたグループの人たちと、一旦は「制止に入る」ふりをした「非行グループ」の人たちとは、実は結託していたということが分かるわけです。

 要するにいわゆる「非行グループ」の人たちは、自分達の評判が既に「悪い」ことを理解していて、そのことを利用して、今度は私の「評判」を不当に貶めるための布石を打っていて、その上で、私にとって見に覚えのない男女交際の話とかいかがわしい場所への出入りなどの話などが流布される流れになっていったということがいえます。自分達が評判が悪いことを逆に「利用」し、今度は私を引きずりおろそう、というような、ある種の権力闘争のようなものすら感じることも多々ありました。その背景にあるのは、当然ながら「内申書」の存在がある種の脅し的な面もあったということがいえるでしょう。(こうした事を書くと「ヤンキーを差別するな」と言われることは目に見えているし、現実に私の発言の一部が切り取られて「ヤンキーを差別した」と決めつけられ、教師からも一方的に怒鳴られるなどした経験もあるため、なかなか対処しづらいのですが、少なくとも私は非行に走った事はないし、噂されているような男女交際とかいかがわしい場所への出入りなどは行っていないわけです。)

 また、私が校則を守っていることに対して教師から「まじめすぎるから悪い」みたいな話が出てくる事もしばしばあり、私は公式の服装検査などでは注意は受けていないのですが、公式の検査ではないときに制服の丈のことなどで教師からイチャモンを何回も付けられ、私も私の親も、制服の丈の事ではかなり苦労しました。仮に本当に校則を破れば「校則違反」として他の人と一緒に摘発される事は目に見えているわけですが、私としては校則を破るのはいやだったので校則を守り続けていたのですが、そのことを今度は教師から「真面目すぎるから悪い」といわれ、「生徒指導」と称して怒鳴られたりすることがたびたび起きていて、いわば校則の運用がダブルスタンダードになっていることに私自身は非常に悩みました。

 そうしているうちに、今度は、いじめっ子達が私に対して「校則を破らせよう、校則違反として摘発されるようにしよう」というような、いわば罠をかけてくることも増えてきました。例えば、校則違反である香水を、私に対して瓶まるごと、液体のまま背後から私の制服にかけてくるといったこともありました。そうなると、学校側はいじめを隠すために、「いじめっ子たちが背後から香水をかけた」ことは事実関係として認めようとはせず、私があたかも校則違反である香水をつけて学校に来たかのように話を捏造して処理しようという流れになっていくわけです。

 上履きを隠されたときでも(上履きに関連した嫌がらせは小学校時代からたびたび起きていましたが)、中学の場合だと、上履きが無い場合は一般的にはスリッパを借りないといけなくなるわけで、靴下のまま行動していると教師から注意を受けるために事情を説明してスリッパを借りさせられるはめになるわけですが、このときでも、私は上履きを忘れたわけではなく上履きを隠されたのでスリッパを借りる事になったのに、学校側は上履きに関連したいじめが起きていることを隠すことになっていました。何が起きたかというと、スリッパを借りるときに署名する名簿に関して、一般的な「上履きを忘れた人」と同じように名簿に名前を書かされ、その署名の中の欄にある「上履きを忘れた事に関する反省文」みたいなものへの記入を迫られたわけです。私は上履きを忘れたわけではなく、上履きは学校に持ってきているのにそれを隠されたためにスリッパを借りないといけないのに、事務処理上は「上履きを忘れた人」として処理され、他の人と同じような「反省文」をかかされたわけです。署名するまではいいとしても、反省文に関しては腑に落ちないところがあったので、私はその文章を書くことを拒もうとしましたが、学年主任が「借りるんだから反省文を書け、何で書かんのか!」と怒鳴ってくる状況だったため、そこで職員室でトラブルになっても仕方が無いので、しぶしぶ、「上履きを忘れました」的な感じの反省文を書かされるはめになったわけです。


 中3のときの総合的学習の時間のときに、いわゆる特別支援学校を訪問したときのバスの車中でも、いわゆる「非行グループ」の人たちが、校則を破ってガムなどを咬んでいたのですが、彼らがガムを咬んでいるところまでは私にとってはどうでも良い事なのですが、彼らは突然私に対して「座席を交代しろ」と要求してきて、私がそれにしぶしぶ応じると、彼らの咬んだ後の、包み紙に包まれた後のガムが私の座席のところに放置されていた、ということもありました。今までのいじめの流れからすると、このままでは私があたかもガムを咬んで校則違反を犯していたかのように決めつけられてしまうと感じたし、また学校の教師はいじめを隠蔽することに躍起になっているために、どうせ私に罪を擦り付けるのだろうということは目に見えていたので、バスの運転手(業者なので学校の外部の方です)に対して、ガムの処理を依頼しました。すると運転手はいきなり、包み紙に包まれたガムを窓に放り投げ、「ポイ捨て」という形で強引に処理していました。その状況を見た「非行グループ」の人たちは、私に対して「それぐらい自分で処理しろ」とか言ってきたので、私は「これは私のガムじゃないから」と言い返したのですが、相手は「他人のガムだろうと自分が拾うのが筋だろ」「自分のゴミじゃなければ拾わない人間なのか、自己中」みたいなことを言ってきてさらに攻撃を増してくる始末でした。確かに一般的な校外学習の時、「他人のゴミであっても自分のゴミ袋に入れて持ち帰る気持ちを持て」みたいな事は指導されることは事実ですが、もし彼らの言うとおりに私がガムを自分のゴミ袋に入れていたとすれば、おそらく私は「ガムを咬んでいた人間」と決めつけられ、拾ったガムを「証拠品」という形で学校側が処理し、強引に私にたいして罪を擦り付けるだろう、そうして貶められるだろうということは容易にわかるわけですし、いじめっ子達がそれを意図していたことは明白だったのですから、私自身としては、自分が犯していない校則違反については疑われることはあってはならないと感じていたので、学校と直接の関係の無い第三者であるバスの運転手にゴミの処理を頼んだわけです。しかし、このような話の流れになってしまった結果、私は確かに「校則違反を犯した」という疑いは晴れたものの、結局は「他人のゴミを拾わない、ボランティア精神の無い自己中」と決めつけられ、またも「不親切・自己中」というレッテルをはられ、それが別件の騒ぎのときに「前科」として持ち出され、学校側によって、「不親切で自己中だから悪い」というレッテル張りのための「材料」とされる結果になりました。

 他にも似たような事は色々とあるわけですが、こうした事一つ一つのレッテル張りが、別件で私が暴力や暴言を受けたときに、学校側がいじめを隠すために私に対して罪を擦り付ける一方で、暴力や暴言を行ったいじめっ子を無罪放免にしていじめの存在を隠すための「材料」として使われていくわけです。


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 いろいろと書きましたが、私の経験上、今のいじめの問題は、なかなか善悪の判断を見極める事が難しいというか、教師・教育委員会といじめっ子達、そしてPTAといった人々、いわば「いじめを隠したい」という利害関係で一致している人々によって事実関係が歪曲され、次第に、被害者にとって見に覚えの無い発言や問題行動などが捏造され、それが数の力で口裏あわせされ、例えるなら「白と黒が逆転する」現象がかなり起きているわけです。それに対して「無実」を証明しようとする事はきわめて難しく、そうしている間にも加害者や教師達は、「権力」や「人数の力」を背景として、次から次へと「罪」をかぶせてくるやりかたをとっていくだろう、ということは、私の経験上からみても明らかです。しかも、全国各地には自ら命を絶つ子ども達も多くいることから考えると、こうした泥沼化したいじめ等の問題に絡んで理不尽な「冤罪」を着せられてさらに事態が悪化していくことに苦しむ現象というのは、私だけが経験している事ではないし、全国にはおそらく私の経験したことよりも更に酷いものもあるのだろう、そうしたことが、いじめによって自ら命を絶つ子ども達の増加の背景にあるのだろうと私は思います。


 話を冒頭のニュースの件に戻しますが、教師に対する処分の有無について生徒の非行行為の有無が判断材料になるとしても、誰が本当の「非行少年・非行少女」なのかということ、そしていじめや日常の学校の中のトラブル等における事実関係がいったいどうなっているのかということ、これらのことについて、誰がどのように判断するのか、適切に判断できる人間がいるのかといえば、現状ではかなり不明確です。

 換言するなら、例えば学校・教育委員会側がいじめや体罰を隠すため、無実の人間に対して「非行少年・非行少女」であるかのようなレッテルをはっていくやり方などが横行していく可能性が極めて高いわけで、そうなれば、理不尽な形で無実の罪を着せられる生徒がいる一方で、本来なら処分対象となるべき教師とかが処分を免れてしまう、という可能性がきわめて高いわけです(それはいじめの隠蔽をめぐる全国各地の報道を見ても明らかなはずです)。その背景には学校や教育委員会の保身体質、そしてその保身体質の中にある権力構造などがあり、その根本のところにメスを入れていかないままに厳罰化ばかりが進んでしまうと、ドロドロとした利害関係によって「冤罪」を着せられ、何重もの苦しみを背負う子ども達も増えてしまうことになります。そうした事にメスを入れることなく、単に体罰を限定容認するような指針を出すというのは、むしろ無実の生徒が教師達によって「冤罪」を着せられることを助長する事に他ならないことであり、体罰やいじめの隠蔽がむしろ助長されてしまう可能性すらあるということを危惧しています。学校の隠ぺい体質が改善されない限り、厳罰化は逆にドロドロとした人間関係ばかりが残るだけです。

 今の隠ぺい体質の背景には、教師側としてはいじめを隠蔽したいという意図があり、加害者やPTA側はいじめの責任を被害者に擦り付けたいという意図があり、その意味で教師と加害者側とは(悪い意味での)利害が一致しているという状況もあるわけで、体罰等についてもこれは同様の事が言えるでしょう。無実の人が罪を被り、本来処罰されるべき体罰教師やいじめっ子といった人々が処罰をされない現状。そして、厳罰化という事態になれば、教師やいじめっ子達による「隠蔽工作」や「口裏あわせ」などがより巧妙化し、彼らの目論見どおりに「成功」してしまう可能性が高くなってしまうのは目に見えているわけで、そんな教育現場のなかでは、いわば「白と黒が逆転する」状況が固定化されてしまい、結果的に苦しむのは無実の生徒なのだということを忘れてはなりません。
posted by ななこ at 04:14| 時事の話題 | 更新情報をチェックする
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