2015年01月28日

深刻ないじめ問題に対して、事の重大さを認識できない学校現場に怒りを感じます

 今年もいじめ問題をめぐっては学校側の認識の軽薄さが露呈した出来事が多く報じられています。いじめ問題をめぐり、大阪府守口市の学校で校長が指導に入ろうとせず、さらには不適切な言動を行ったということが報じられています。


news.livedoor.com/article/detail/9681267/

 市教委などによると、この中学で平成25年5~6月、男子生徒が同級生から暴行を受けるなどのいじめ被害に遭った。

 生徒の母親から連絡を受けた学校側は加害生徒を指導するなどし、同年7月に学校で母親に経緯を説明。当初は担任と学年主任が応対し、校長は母親の求めに応じて途中から同席した。

 加害生徒の指導などに校長が関わっていなかったため、母親が「指導に入らないのか」と尋ねると、校長は自身が関与するのは「人が死んだり、大きなけがをしたりしたとき」などと回答。母親は「うちの子が死んだら入るということか」と抗議したという。






 ここまで一部ニュース記事を引用しましたが、校長の発言からは、いじめ問題について対処しようとしないばかりか、被害を受けた生徒が自らの命を絶つことを学校側が待っているとも受け取れる発言ですので、学校側の人権感覚の欠如が改めて露呈した出来事だといえるでしょう。



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 私自身も学校でいじめを受けた立場ですが、私自身が直面したいじめの場合でも、もちろん担任や学年主任などの対応もひどかったのですが、同時に、校長側の対応についても、あまりにも酷かったものだという記憶があります。ここからは私自身の経験について少し書きたいと思います。


 中学1年の時に私がいじめを受けたとき、私が受けていたいじめの事をめぐって、10月に、「建前だけ」の学級会が行われた事がありました。当時、学校の中でもいじめが日々エスカレートし、いじめる側の人数も増え、いじめの態様も日に日に激しさを増す中で、私自身は不登校気味だった時期でもありますが、話し合いのためにこの日は登校していました。このとき、中学1年の10月だった事を今でも鮮明に覚えています。

 この時の学級会のときの話し合いが、担任教師の暴言の連発ばかりがひどいものでした。加害者の一部が、自らいじめを認め、「いじめ」という言葉を使おうとしても、担任がその加害者の生徒に「本当に"いじめ"なのか?あ?どうなんだ?」みたいな感じで、脅迫的なやりかたで「いじめ」という言葉を封じ込めて「ちょっかい」などの別の言葉に言い換えさせていたということ、更には、担任は私に対して発言権を与えようともせず、私が、途中、担任教師に対して、「あの、少し言いたいことがあるのですが・・・。」というと、担任教師は、「最後にまとめて言わせるから黙ってろ」と言って私の発言を抑えつける始末。その後も加害者側に発言させ、単に加害者が持論を展開している(「周りに合わせないから悪い」とか「冗談を冗談としてとらえないほうが悪い」とか)だけの話し合いに終始し、最後には「もう30分も経った」「おまえはこれだから“ちょっかい”を出されるのだぞ、いい加減、わかったか!」などと言って怒鳴り、話し合いを強引に打ち切ろうとしました。


(当時の学級会の流れについてはhttp://educateiroiro.seesaa.net/article/382069085.htmlの記事で触れています)


 当時の担任教師の暴走ぶりが目に余ったため、この話し合いが行われた数日後、私の親が校長に電話を掛け、担任による一連の暴言について抗議したそうです。そのとき、校長は私の親に対して「あの先生は、前の年にもその前の年にも暴言を吐いて、当時の親御さん達からも苦情が来ていて、私共もそのたびに、あの先生に対しては『言動に気をつけるように』と指導しているのですが、あの先生は逆に意地になって激しく暴言を吐くので、私共としても手が付けられなくて苦慮しているのです」という趣旨の返答をしてきたそうです。

 私の立場からすると、校長の態度がこのレベルなのもいかがなものなのかとは思ったものの、校長の話によれば、当時の担任がかつて先輩達の担任だった時代にも暴言を吐いていて、先輩の中には担任の言動に傷ついたという前例があったということ、そのたびに校長が担任に対する業務指導に苦慮していたということが仮に事実なら、これ以上校長に何かを相談してもどうしようもないいうことで、私や私の親としてもこれ以上の事を校長に言っても仕方が無いと思い、それ以上の抗議は行わないことにしました。



 しかしながら、それから約2ヶ月後の12月。一連のいじめ問題をめぐって、私のクラスでは、学年主任や教頭が主導して、特別に保護者会が召集される状況にもなりました。このとき(12月)の話し合いのときには校長が関与する形で話し合いが行われたという事らしいです。(以前の記事でたびたび触れているように、実は12月の話し合いと比べると翌年の3月の話し合いのほうが明らかにひどいものだったのですが、12月の話し合いのときもかなり酷い話し合いが行われていたのです。)



 ここで「校長が関与する形で話し合いが行われたという事らしい」と私は書きましたが、なぜ私がこのような書き方をしたのかというと、当時の話し合いが、私や私の親の同席のないところで、「学校関係者と保護者」だけで行われ、話し合いの最後の一部分だけ私の親が呼ばれただけにしかすぎなかったため、私や私の親は「蚊帳の外」状態に置かれていたため、校長の関与の程度について私や私の親が正確に把握する事が困難だったためです。

 もっと言えば、いじめの加害者となった同級生達本人もこの話し合いに参加しておらず、大人たちの間で(しかもほとんど私の親は話し合いから外された形で)勝手に話し合いが行われていたのです。校長は確かに校長室周辺の廊下をウロウロと歩き回っていたようですが、果たして、加害者と学校関係者との話し合いの過程の中で校長が同席なり関与なりしていたのかは、私も私の親も、未だに分からない状況にあるのが実態です。学年主任や教頭がこの話し合いを主導していたのですから、校長が本当に話し合いに関与していたのかは、不明確なままです。


 話を戻しますが、このとき、私自身も、私の親も、学校側から呼び出されてはいたものの、控え室として指定された理科準備室で待機させられる形になり、私自身は最後まで話し合いには参加させてもらえませんでした。私の親も話し合いには参加させてもらえず、具体的な話(事実関係の確認とか)は一切関与できない形で話し合いが行われた上で、最後の一部分だけ「○○(私の名前)の親御さんです」みたいな顔合わせだけでなぜか話し合いが終了してしまい、私の親としても、この話し合いの時に一体どのような話があったのか、話がどのように進められていたのか、加害者側に対してどのような説明が行われたのかすらわからず、私の親としても、いったい何のための話し合いなのか、その趣旨すら明らかにされない、混乱した状況のまま話し合いが終ってしまったようです。

 いじめ問題についての話し合いと言っておきながら、結局は、被害を受けていた私本人も、そして加害者となった同級生達も、両方の立場の「生徒」については誰も出席を認められることがなく、さらには、私の親にもその話し合いの内容は公開されない形で、結局「学校関係者と、加害者の保護者」だけで勝手に話し合いが行われていて、話し合いの内容も不透明なままでした。


 いじめを隠蔽したいという思惑のある学校関係者と、自らの子どもがおこなったいじめについて責任を私になすりつけようと躍起になっている加害者の親たち。それぞれ「いじめを隠したい」という思惑があって、思惑が一致している人々たちだけで行われた話し合い。そこに私や私の親は同席も許されず、どのような説明があってどのような内容が話し合われたのかすら、まったく公開されておらず、不透明な話し合いでした。




 また、そもそも私や私の親はこの話し合いに同席を許されていないままの状態のため、加害者の保護者の発言や学校関係者の発言などについて、私や私の親には意見表明の機会も与えられていない、反論や説明の機会が与えられることのないままでした。これでは、加害者や学校側の「いじめを隠したい」という思惑に沿った話し合いの結論にしか至らないのは、誰が見ても明らかでした。


 具体的な話し合いの中身はほとんど公開されないまま、後に私や私の親に対して、学校側が説明した内容は、やはり「いじめを隠したい」という思惑ばかりが先行していて、加害者側だけに都合の良い内容の「報告内容」でした。


 このときの話し合いの全容は公開されず、話し合いから1週間が経過したとき、内容の一部について学校側から説明があったものの、説明というには程遠いほどの不透明な中身で、どのような話し合いの経過を辿ったのかとか、どのような内容をどのような形で相手に伝えたのかといった事などは一切公開されることはありませんでした。ただ、公開された中身は、加害者の主張に沿う内容、例えば私に対して責任を擦り付ける内容や、事実関係が捻じ曲げられた内容が箇条書き的に羅列されただけでした。


 たとえば、「冗談が通じないから悪い」「日曜日に自分の祖母の介護の手伝いばかりに行っていて同級生と遊ぼうとしないから悪い」「自習プリントを同級生に見せようとしないから悪い、勉強を教えないから悪い、お前は不親切な人間なんだろ」「授業中の発表回数が多いのは、成績がいいのを見せ付けているのか、嫌味なのか、という苦情がPTAから寄せられた、この件ではお前だけではなく社会の担当教師(授業中の発表を促す授業手法を採用していた教師だった)もPTAから糾弾されている、だから、これからはお前だけ発表禁止だ」といった、はっきり言ってイチャモンとしか言いようが無いことばかりでした。


 なぜこのような結論に至ったのかは不明確だし、あるいは加害者側のPTAの一部にモンスター親みたいな人がいたとして、その人たちに対して学校側はどのような返答をしたのかなど、その話し合いの過程・プロセスは一切公開されることもなく、また話し合いの中でも私や私の親の意見表明の権利が奪われた状態で加害者や学校側だけに都合の良い結論が「既成事実」として勝手に一人歩きしている状態でした。


 私や私の親が排除された形で行われた話し合いのなかで出された結論。それは、明らかに冗談では済まされない恐喝や暴力・暴言、また教科書が破られるなどの事実があっても「冗談」という結論が出されてたり、私が日曜日に祖母の介護に参加していることなどについて学校側がクレームをつける内容だったり、授業中の挙手・発表という本来なら奨励されるはずのことについて、なぜか糾弾される状況だったりでした。

 中でも酷いのが「自習プリントを同級生に見せようとしないから悪い、勉強を教えないから悪い」といった趣旨の主張でした。

 私としては、自習プリントを同級生に見せても、そのプリントが第三者に「また貸し」されたり、意図的に奪い取られたりして、自習プリントが提出できなくなったりする状況があったり、「勉強を教えろ」といわれても別の時には「勉強の話をする嫌味な人間」と決めつけられたり(勉強の話をしなければ勉強を教えることも出来ないはずなのに…)、あるいは異性間の会話やモノの貸し借りなどという形になるだけで、いわれなき性的な噂話がひどくなる状況もあったりしていました。

 何よりもそのプリントを見せたり勉強を教えたりしても、次の休み時間から結局はいじめがおきてしまう現状は、小学校6年間と中1の途中という、当時としては7年弱の学校生活の中で、数え切れないほど経験してきたわけです。いずれにしても、それらは、わたしが同級生達に勉強を教えたりプリントを貸したりした中で起きた出来事です。従って、学校側が言う「勉強を教えない、プリントを見せない、不親切な対応ばかりだから悪い」といった主張は、明らかにイチャモンだし、荒唐無稽としか言いようが無いです。

 そして、それ以前に、私としては、そもそも学校側が「自習プリントを他の人に貸さないから悪い」といった主張をするのは、自習というものの本来の趣旨からいっても、違和感を感じざるをえませんでした。本来、自分のプリントは、答えを間違ってもいいから自力で解くのが本来の自習のあり方のはずなに、学校側が自習プリントの剽窃を奨励した挙句に今度は私に対して「不親切」というレッテルをはってきたわけですから。

 それらの事を説明しようとしても学校側は「お前は一生徒なんだぞ、一生徒なんだから学校のやり方にごちゃごちゃ口出しすんな」というような返答を繰り返す始末でした。さらには「お前は、授業中に『この問題、テストに出ますか』と質問するだろ、それが嫌味なんだろうが、それを言うなよ!」みたいなことを学年主任が言ってきたわけです。私は「この問題、テストに出ますか」といった趣旨の質問は一切していないし、学年主任自身も私のクラスの授業を担当しているのでそのことはわかっているはずなのに、なぜこのような言いがかりを付けられるのか疑問に思ったので、私は「先生が受け持った科目を含め、それを言ったことはないはずです」と言ったのですが、学年主任は私の発言をさえぎる形で「いいから、言うなっちよ!」と怒鳴りつけてくる始末でした。おそらくは、学校関係者と加害者主導のPTAとの話し合いの中で、あたかも私がこのような「問題発言」をしているかのように話を作り上げたのでしょうけれど、なぜこんな話がまかり通っていたのか、そのことすら、私や私の親にはその話し合いの過程が公開されていない以上、分からないことばかりでした。


 保護者会の中で、どのような事が学校側からPTA側に説明されたのか、またそれに対してPTAが何らかの反論をしたとしてそれについて学校がどのような返答をしたのか、その事も不明確でした。また、そもそも私や私の親はまったく「蚊帳の外」のままの話し合いなので、私や私の親の主張は全く汲み取られず、意見表明や反論の機会が与えられていないし、事実関係が異なる内容についての説明や反論も許される事がなかったわけです。そうした「閉鎖的」な話し合いの中で、事実関係についての説明がどのようにして行われたのか、その話し合いの結論がどのように出されたのか、また学校側の中で校長の出席や関与はどこまであったのか、そうしたことも含め、私や私の親にはまったく知らされる事はなく、後日になってから、学校側は私に対して「事後報告」的に勝手な結論を出してきて、私に対して責任を擦り付ける状況でした。



 加害者の主張ばかりが優先され、しかもその中身が事実関係と異なっていたりするわけで、しかしその結論が「既成事実化」されてしまって、その「結論」が勝手に一人歩きしてしまう。その結果、加害者の親が、私の親に対して、すれ違い様に肘鉄をしてきたりするような嫌がらせも始まり、PTAの会議で私の親の靴がばらばらの場所に無造作に投げられていたりしたということもあったそうです。もちろん私自身も、学校で同級生達から受けるいやがらせがさらにハードなものになっていく現実が目に見えてわかるくらいの状況を目の当たりにしました。


 私自身、身の危険を感じることも多くなり、自分のクラスに居る事が出来ずに他のクラスに「避難」することも増えたのですが、他のクラスでも「帰れ、帰れ」と言われるようになり、次第に騒動が激しくなって、私が廊下を歩くだけでも通行妨害が行われたりし、渡り廊下の入り口にバリケードのようなものが作られて、少なくとも十数人単位で「押しくら饅頭」のような感じで(さらに、これらの騒動に便乗する形で、少し離れた所とか窓の外などの「安全地帯」から私のほうに向けて野次を飛ばす人たちもいたため、これらの「騒動」に加わったり便乗したりした人たちの人数は私自身も把握できない部分もあるのですが)通行妨害がエスカレートし、その騒動に便乗する形で背中や胸を殴られたり(正直、場所が場所なので、殴られると息が出来なくなるほど痛いです)することも多くなり、しかし既に「押しくら饅頭」状態の中では誰が私を殴った「実行犯」なのかすら分からないほどに事態が混乱することもありました。それでも、学校の教師は見てみぬふりを繰り返す始末でした。


 ある教師にいたっては、その教師が受け持っているクラスの生徒が私の腹部を蹴ったりして、私がその場でうずくまっている状況にもかかわらず、私の横を通り過ぎながら「反乱を起こしている、反乱を起こしている」とぼやきながら笑みを浮かべてどこかに立ち去る始末。はっきり言って、何を考えているか分からない教師達ばかりが多かったと思います。


 そして、いじめが収まる事が無く、次第に他のクラスにまでいじめが広がり、そして迎えた翌年の2月のこと。あるとき、私は担任から呼び出され、体育教官室という密室の場所で、身に覚えのない「問題行動」をでっち上げられ、しかも同級生達が「証言」したとされる内容がまとめられ、「お前一人だけが違う事を言っている」みたいな感じで、私にとって見に覚えのない内容、いわば「冤罪」を着せられる形になったわけです。


 この時の話が元になって、更には私に対して事実確認が行われなかった内容も含め、3月には、私の知らないところで私の親だけが呼び出されて、私にとって見に覚えのない内容が学校側によってでっち上げられる流れになるのです。この3月の話し合いのときに不自然だったのは、「生徒指導」の建前を取っておきながら、私本人は同席を許される事なく、私の親と学校側との話し合いだったと言う事、そして、12月の話し合いに関与していた一部の教師は、なぜかこの時には話し合いに出席せず、また、12月の話し合いの時には校長室周辺でウロウロ動き回りつつも様子を伺う感じだった校長が、3月の話し合いには顔すら出さなかったということです。


 この話し合いは、先に述べたように、2月のとき、同級生達が教師と口裏合わせをして私に対して「冤罪」を着せてきた、いわば担任と加害者達主導の一方的な話し合いの中身を元にして、しかも3月の時に私の親に対して学校側が主張した内容は、私に対してまともに事実確認も行われていない内容だったり、あるいは事実確認があった一部の内容についても、私にとって見に覚えの無い内容であり、それでも担任が私の説明を聞かずに私に対して罪を着せる事に躍起になって、結論ありきで私に対して、弁明や説明、反論の機会を意図的に与えない形で私に対して無実の罪を着せる手法をとって、あたかもそれらの出来事が「既成事実」であるかのような形を作っていったやり方でした。いわば「『無』から『有』が意図的につくりだされ、でっちあげられる」事態でした。このようにして教師側が不当に権力を濫用し、その結果、3月に学校側が私の同席の無いところで私の親だけを呼び出して、その場所において私の事について、私がやってもいない事実無根の事を学校側がでっちあげてきて誹謗するという暴挙にでた出来事でした。


 それらの内容を少し書きますと、例えば、クラスの中で、同級生達が私に対してブーイング(親指を下にしながら暴言を吐く動作)をする事が流行している事に関して、担任や学校側は、あたかも私がこのブーイングの動作を他の生徒に対して行っているかのように、いわば「加害・被害」の関係を逆にするような捏造をしてきました。

 また、私がある男子から羽交い絞めにされ、別の男子から顔面を殴られたときの事についても、担任や学校側は、あたかも私が他の男子に暴力を振るおうとしたかのように話を捏造してきて、私を羽交い絞めにした男子の行為については、私が他の人に暴力を振るおうとしたのを止めただけ、というような形で、話の事実関係を捏造してきたのです。普通に考えて、私は他人に暴力をすることは倫理的にみても、あるいは力関係的にみても絶対にありえないし、また、私の顔面を殴ってきたのは男子たちのほうなのに、学校側はこのような形で話を捏造してきたのです。

 さらには、給食の時に牛乳パックをまとめて折りたたむ(班で最初に飲み終わった人が牛乳パックで箱を作り、2番目以降に飲み終わった人が牛乳パックを折りたたんでその箱に入れていき、最後に飲み終わった人がその牛乳パックを給食当番用の台に持参する)作業についても、班の人たちが、本来なら最後に飲み終わった人が持って行くべき牛乳パックについて、集団で私に押し付けてきて「おまえが毎回(牛乳パックを)持っていけばいいんだ」みたいな感じで暴言を言いつづけてきて、給食中に私に対して給食時間の度に牛乳パックを叩きつけてきたりとかの事もあったのですが、その話についても、学校・担任側は、あたかも私が「班のルール(彼らの主張によると「飲み終わった人の机に牛乳パックを置いておき、次の人が飲み終わった時点でその人が牛乳パックを取って自分の場所に置く」といった趣旨らしい)を守らなかった」かのように決めつけてきて、さらには、「班のルールについては別の女子から聞いていたはずなのにそのルールを守らなかった」人間であるかのように決めつけてきたという出来事もありました。この件について、私が別の機会の時に、この問題について「牛乳パックを叩きつけられて"お前が最後に持っていけ"といわれた」旨を証言したはずのことを、あたかも私が「"お前が最後に持っていけ"と"いわんばかり"の状況だった」と証言したかのように学校・担任側は捏造してきて、また、彼らが主張する「班のルール」なるものも、私は聞いていないということについて述べたにも関わらず、学校・担任側は「班のルールを聞いていたと証言していたはずだが、都合が悪いと話がコロコロ変わるんだな」と決めつけてきて私の人格を貶めたのです。しかも、彼らが後付けで主張している「班のルール」なるものも、彼らの主張によると「飲み終わった人の机に牛乳パックを置いておき、次の人が飲み終わった時点でその人が牛乳パックを取って自分の場所に置く」といった趣旨らしいのですが、そもそも同級生達が私に対して毎日のように牛乳パックを叩きつけてきたり押し付けてきたりした背景からみても、そんなルール自体はあるわけもないのは明白だし、「ルール」自体が彼らの中で仮に存在するとしても、その「ルール」は少なくとも守られてはいない、あるいは私に対して牛乳パックを押し付けたり叩きつけたりする内容のいじめを同級生達がごまかすために後付けで作った「ルール」なのでしょう。いずれにせよ、牛乳パックをめぐる一連の内容について、学校・教師側は「いじめ」の存在そのものをごまかすために私に罪をなすろうとしてどんどん後付けで話をでっち上げまくるわけですから、そもそも学校側と話がかみ合わない状況のまま話が混乱していくばかりでした。

 さらには、私は他の生徒に対して「言う事を聞かないと教育委員会に言うぞ」という脅し文句などは発言したことはないのですが、あたかも私がこのような脅し文句を言ったかのように学校側が捏造し、しかも「目撃者」として、私とは面識がないはずの、当時の卓球部の顧問がこの話を「目撃者」として証言するなどのこともあったらしく、その話は私自身に事実確認の話すらないまま、私の知らないところで、学校側が私の親に対して勝手にこのような虚偽の話を「生徒指導」という建前を使って説明したという出来事もあり、これも私の人格が不当に貶められる状況になりました(後に知人の先輩の親御さんから私の親が聞いた話によると、学校内の部活の顧問人事をめぐって、卓球部の顧問がバスケ部の顧問に鞍替えしようとしていた事情から、卓球部の顧問が、当時バスケ部の顧問だった私の担任に対してゴマをする目的で、私の担任が私の事を気に食わないという事に着目して、私の担任に対してすり寄る目的で、本来面識のないはずの私の事について事実無根の事をでっち上げて私の事を貶めたのだろう、ということも、かなり現実的な話として伝わっています。)


 ほかにも、あたかも私が他の人の文房具を壊したかのような話だったりとか、成績が良くないとされる人に対してあたかも私が馬鹿にしたような発言をしているかのような話だったり、とか、様々な話を学校側はでっち上げてきました。


 このようにして、私にとって見に覚えのないこと、自分がやってもいない事を学校教師によってでっち上げられ、私のいないところで、同級生達と口裏合わせして教師が「証言集」みたいなものをまとめあげてたりして、しかも私のいないところ(当然、私には反論の機会すら与えられなかった)で私の親に対して、私に対して事実確認も行われていない出来事まで含めて、学校側は私のことについて私の親に対して事実無根の中傷を行ったわけです。背景には、私が学校でいじめを受けていたことについて、学校側がいじめを隠蔽するために、事実関係を捏造して私に罪を擦り付ける事で、私の人間としての信用を貶めるやりかたでいじめ問題に関する相談などを封じ込めようというような学校側の意図があったわけです。


 ただ、この3月の話し合いに関しては、学校側が私の親だけを呼び出してきて、私の同席の無いところで学校側が様々な事をでっち上げてきたわけですが、私にとってはまさに「寝耳に水」の話ばかりでした。私がその場に同席していれば、事実関係の説明とか、無実を証明するための反論なり証拠の提示も出来たはずなのです。しかし、学校側は自らがでっち上げたウソが「ばれる」ことを恐れて、私の同席のないところで私の事を誹謗中傷するような内容の話し合いを行うという、極めて許し難い暴挙に出たわけです。

 ただ、この3月の時の話し合いは、学年生徒指導の担当教師と教頭、そして担任教師だけが出席していたそうです。なぜか校長は同席せず、また、12月の話し合いに深く関与していた学年主任は、(進級準備で忙しいはずの時期なのに)「人間ドッグ」の予約を入れたという理由でこの話し合いには同席せず(果たしてこれが本当の理由なのか、不自然なことではあります)。学校全体を担当する生徒指導の主任もなぜかこの場には同席がありませんでした。

 いったい、学校の職員の中で何があったのかは分かりませんが、12月の話し合いを主導したとされる校長、生徒指導の責任者の一部が不可解な理由で欠席したり、またそもそも私自身が呼び出されることもなく私の親だけが呼び出されるという不可解な状況の中で、3月の時の話し合いが行われたということになります。

 なぜ、私はこんなやりかたで、学校側から濡れ衣を着せられる事になったのか。そのことを問おうとしても、そのときの話し合いに関与した教師のほとんどが相次いで転勤してしまっていたりしていて、私が中学を卒業する頃には当時の話し合いの事を知る人物のほとんどが消息不明になっていたため、当時の事について何があったのかということを十分に問う事ができませんでした。そもそもこのとき、中1から中2に進級する前(つまり先から述べている3月の話し合いの直後)に、校長、そして教頭2名のうちの1名、そして学校全体を担当する生徒指導の主任が一気に転勤してしまい、また後に中2から中3に進級する前にはもう一人の教頭も転勤してしまい、卒業時には学年生徒指導の担当教師が別の学校に教頭として赴任する事態になっていたわけです。


 学年生徒指導の担当教師については後に連絡が取れたため、後に卒業生として当時の事について問う機会があったのですが、この教師は「そんなことあったっけ?」「覚えていない」の繰り返し。中1の12月に行われた緊急保護者会、翌年3月の話し合いの時の両方に出席し、また当時の事をノートに記録していた書記の役目だった人物にもかかわらず、この教師は「覚えていない」を繰り返すばかりでした。(この教師の場合特に不可解なのは、どの生徒がどの小学校の出身だったとか、どの高校に進学したというような、細かい事はかなり覚えていたようなので、「どうでもいいこと」は覚えていても、いじめ問題について重要なことについては「知らないふり」を意図的に行っていたことは明白でした。)

 また、私は中2以降もいじめにあっていたわけですが、中1の時の校長と入れ替わって中2以降に校長となった人物に、当時の事について知っている事について問おうと考えたのですが、私が中学を卒業して暫くして、その校長が急逝した経緯もあり(その経緯は不明ですが)、当時の「いじめ隠蔽」の事についてその人物に問うことは出来ず仕舞いでした。



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 いろいろと書きましたが、私は自分が受けたいじめの経験上、いじめに関する話し合いとか指導とかは、その内容が被害者やその家族に公開される、あるいは被害者やその家族が同席したうえで、公平な立場で直接交渉する形で話し合いを行うなどの。透明性が確保された形式でなければ、いじめの隠蔽や事実関係の歪曲といったこともおきやすいし、何よりも、責任者として校長が責任を持って話し合いに出席するなどして、真摯に取り組むべき問題だと思います。

 もちろん校長の多くは「いじめを隠す側」として保身に走り、一般の教諭時代などにいじめを隠すようなことを続けて出世してしまっている経緯もあると考えられ、校長に全ての権限を持たせると言う事は危険ですが、少なくとも、いじめの被害者の立場からすると、校長が最終的な責任者としていじめの問題について責任を持つ姿勢でなければ、職員室の一般の教諭だけではいじめは隠されたり、あるいは責任の所在が曖昧であるが故に、相談すべき交渉相手が日によっても異なっていたりすることで「誰がどこまで情報を共有していて、どこまで共有されていない情報なのか」ということも判然としない故のトラブルや混乱も起こるわけです。

 特に私の経験したケースの場合だと、校長や教頭、生徒指導の担当者などの間でも、話し合いによって出席したりしなかったりして、いったい誰がいじめ対策の最終的な責任者なのかも判然としなかったりして混乱しました。私のケースの場合も、結局は校長はいじめを隠す側だったのでしょうし、校長が一連の話し合いを主導したとしても結局は事態はよくならなかったものと思うのですが、ただ、責任の所在が曖昧だったことが、事態の混乱に拍車を掛けてしまった面も大きかったと思います。

 たとえば、個別の話し合いにおいて責任者が明確で無い、あるいは話し合いを主導している教師や管理職がコロコロと入れ替わるなどのことがあると、話し合いの過程において「誰がどんな事を言ったのか、言わなかったのか」「話し合いの形式をだれが主導して決めたのか、あるいは決めなかったのか」といったことなどが全く不透明だったり、教師や管理職などによって言う事も違っていたりすると、結果的に事実関係の確認も難しくなったりとか、いじめの再発防止という観点からの検証も行えなかったりします。

 そうした事態を招く中でも、学校側は「いじめを隠す保身体質」という悪い意味では「一貫」していて、また、普段はバラバラに動いている教師達も「いじめを隠す」ことだけは、悪い意味で「団結」しているという、まさに酷い状況だけは「健在」のままだったりするわけです。結果として、学校側が事態を混乱する状況に持ち込んだ挙句に、最後は被害者に泣き寝入りを強いるような卑怯なやり方をとるのでしょうけれど、それでは教育のあり方としては不適切だということを申し上げておきたいと思います。

posted by ななこ at 03:54| いじめ問題 | 更新情報をチェックする
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