2015年05月03日

消費者目線を大切に…因習的な「上からの圧力」でもなく、「同調圧力」でもなく、自分の意思を大切に。


 暦の上では新年度、そして5月となってしまいました。個人的なこととして、この春は、教育関連とは関連性の無い出来事についてのトラブルに巻き込まれていて、鹿児島の実家周辺を奔走する必要性に迫られ、そのやり取りの中で精神的に疲弊していたりしていて、なかなかこのブログを更新する余裕がなかったりしたのですが、今日は久しぶりにブログを更新しようかと思います。一見すると教育分野とは関連性は薄い話かもしれませんが、消費者教育の大切さというものをかなり痛感する出来事だったので、今日は私の身の回りに起きた話をします。



 私が巻き込まれたトラブルというのは、要するに、私の実家のある鹿児島市内の土地をめぐり、私の親が不動産トラブルに巻き込まれたということなのです。とはいっても、私の親が業者に対して何らかの契約等を行ったわけではありません。私の実家の周辺の土地の一部を取得した不動産業者が、急遽、私の親に対して、事実とは異なる説明を行って、本来必要の無いお金を支出させようと企んだという出来事が起きたということです(ただ、当該トラブルが現在進行形なので、このブログ上で詳しい事はかけないこともある点はご容赦いただきたいと思います。)


 鹿児島にある私の実家は、私が幼少の頃に関西から引っ越してきた時に建設した、平成一ケタ年代に完成した家です。私は引っ越してきた当時のことを覚えてはいませんが、私の親が、老親介護の関係があるために、関西の会社を辞めて鹿児島に引っ越してきたとき(私の親にとっては「Uターン」ということになるのでしょう)、母親の実家近くの土地を取得して建設した経緯があり、母親の家系の親類が数世帯分集まっているような地域です。

 もちろん、うちの家系とは無関係の方々も多く居住されていて、彼らもそれぞれの土地の所有権を持っているわけですが、昔の守旧的な価値観が根強い地域だと、古くからの「地主家系」の末裔が、あたかも自らが「地主」であり続けるように振舞ってたりして、新しく住むようになった人たちも、その「自称地主」の意向に無条件に従ってたりする因習的な文化が、2015年現在でも残っているのも事実です。また、お恥ずかしい話ですが、その「自称地主」は、うちの親戚にも当たる人物でもあります。(そして、後に話しますが、その「自称地主」と不動産業者とが、何らかの事情で結託してしまっていることが、今回の問題を複雑化させてしまっています。)

 そして、私の実家の周囲には、いわゆる「バブル景気」時代に土地を取得した方々が、現代においても放置されて所有権が残ってる土地も点在し、空き地が多いのも事実です。私がまだこの世に生まれる前の頃の経済政策の「遺産」が今に残っている土地がある、ともいえるでしょう。

 この地域をめぐって、どうやら最近、実家の近くで道路として使用されていた土地(いわゆる「みなし道路」とされていたようですが)について、いわゆる法43条但し書き道路の申請があったということらしいです(ただ、私は不動産の専門家では無く、この分野に関しては、一連の問題が発覚してからの2ヶ月間で調べた程度の知識しかないので、この道路の意味について詳細な解説は控えさせていただきますが…)。法43条但し書き道路が認定されたことそのものは、たいした問題ではないと現時点では思われますが、ただ、そこで問題なのが、この問題について色々と動き回っていた不動産業者が、この申請を行うにあたり、具体的に現状がどのように変更されるのかと言ったことについて、私の両親には抽象的な説明しかしないままに実印を要求し、また、他の地権者に対しても、実印が必要な理由として、それぞれに別の「理由」を告げた上で実印を集めていっていたようです。

 私の親の場合は、法43条但し書き道路の申請という話は聞かされず、「側溝の整備のために実印が必要」という名目で、実印の押印を要求されたそうです。ただ、うちの親としては、「側溝」と言う二字熟語だけが独り歩きした抽象的説明のままでは実印は押せないということで、一旦は不動産業者からの要求を拒んだそうです。しかし、先に述べた「自称地主」みたいな人物からの強い要求があり、結果的には私の親も実印を押してしまったそうです。特に、例の「自称地主」が、地域で影響力を持っているだけでなく、親戚関係においても、年齢が私の親より上だという事情もあり、私の親はなかなか逆らう事が出来なかったという事です(なお、私の親が実印を押印したときには、不動産業者はその場に立ち会っていなかったそうです。)。

 とにもかくにも、いわゆる法43条但し書き道路が認定された、というところまでは話が勝手に進んでいたようですが、その道路が認定されたと同時に、その「自称地主」が私の実家に訪れてきて、私の親に対して「今回の申請の結果、お前の家が袋地になった、このままでは将来、不動産の改築や売買ができないぞ、だからお前の家から隣の家まで、南側の空き地のうちの4メートルを切り取って4m幅の道路を作れ、作ったら周囲の地権者(バブル期から土地を放置してきた「空き地」の地権者たち)から喜ばれる、お前らが道路を作らないといったら、恨まれる、村八分だ」というニュアンスの話をしてきたようです。

 その「自称地主」が言うには、これらの話は例の不動産業者から、私の親に対して伝えるように言われた内容だという事のようです。尤も、その「自称地主」は例の不動産業者と結託してしまっている立場でもありますから、例の不動産業者の言いなりになったうえで、私の親に対して虚偽の説明を行ったのでしょう。

 そして、問題となる4m幅の道路を作るためには、測量代20万円以上、さらには南側の空き地の地主(不動産業者の話によれば、どうやら大阪府内に在住との事)との交渉などについての負担が必要になるらしい…こんな難しい話を、私の親はいきなり突きつけられた形になるわけです。


 私の親の立場としては、いきなりこんな話をされても困惑するばかりなのは当然です。私の親としては、私が実家の資産を相続したときの処分や管理の方法とかの事をものすごく心配したようです。また、私の親としては、どうしてもその「自称地主」が私の親の親戚でもあるという複雑な事情もあり、さらに、これらの「袋地」「資産価値の毀損」話についても、但し書き道路の申請に絡んでいきなり出てきた話であり、私の親としてもパニックというか思考的に冷静になれない状況にあったようです。


 そうした経緯もあり、うちの親が私に対して「いったいどういう事になってるのだろうか、調べてほしい」と悩みを相談してきました。また同時に現在進行形でわけの分からない業者が、実家周辺を動き回っている様子も確認できたため、私は仕事そっちのけで鹿児島の実家に張り込む事にし、(私は学校を卒業した後、組織に所属せずに、個人で動けるフリーランスの仕事を進路として選択してるので、ある意味で時間の融通は利く)、これら一連の問題について、この3月以降は鹿児島の実家周辺を奔走しつつ、様々な人脈から、様々な事を調べていました。

 とはいっても、私自身は法律系の学問専攻ではなく、法律の知識は大学学部時代のリベラルアーツ教育程度の知識しかないので、私自身も法律についてはかなり素人の部類ではありますが、それでも自分で出来る事は全て調べていくことにしました。


 私がまず思ったのは、法43条但し書き道路の申請によって、本当にこんな性質のトラブルがおき得るのだろうか?といった疑問でした。道路の認定を行政行為によって行うだけで、特定の家屋が袋地となることは、普通に考えればありえないと私は思ったわけです。



 問題となった「自称地主」や、その「自称地主」と繋がりがある不動産業者のいう事が果たして本当のことなのか?

 私がこの問題について調べていく上で、常に心に刻んでいた言葉。それは、あえてカール・マルクスの言葉を引用するなら「全てを疑え!」ということ。その言葉を常に自分に言い聞かせながら、私は独自ルートで色々と事実関係を調べることにしました。



 問題の不動産業者とも怒鳴りあいになり、侮辱的な言葉も浴びせられながら(私の年齢が20代だという事情もあってなのか、相手は私の事を小ばかにするような表現もしてきました)、また、不動産業者から何らかの便宜を受けたと思われる近隣住民から怪しまれたり変な言葉を掛けられる事もありながら。(なお業者との一連のやり取りについては、録音の手段で記録しています。)



 ただ、私個人の事情で言えば、近隣住民との関係の悪化は、約10年前のことですが、中学時代に私が受けてきたいじめをめぐって、近所の同級生が私に対して暴力してきたり唾を掛けてきたりとかの、ひどすぎるいじめの加害行為に加わっていた経緯もあって、その件で中学校を交えて話し合いを行ったことについて、その同級生の親が私に対して逆恨みしてきて、私の自宅に無言電話を掛けてきたりとかの嫌がらせも横行し、最終的には私の家が町内会組織を脱退する事態にもなったほどの出来事になったこともあります。当時の事について和解出来ているわけでもないので、今回、不動産業者とのトラブルをめぐって、改めて近隣住民との微妙な関係が続いたとしても、私としては慣れているわけです。私として唯一の懸念材料なのは、私が県外にいても、それでも両親はおそらく鹿児島に残り続けるであろう、私の親が老いた後の事を考えたとき、私の親の立場のことだけは気がかりではありますが…。


 色々言っていても仕方が無いので、私としては、とにかく不動産業者や「自称地主」らの主張の矛盾点を指摘していくことに徹することにしました。ただ、ムラ社会的な価値観の中で例の「自称地主」の人物が一定の影響力を持ち、その人物と結びついている問題の不動産業者がいる、という構図の中では、地域の中では私はある意味で孤立無援。この地域の人たちの多数派は、例の不動産業者の言いなりになっている。

 だけど、不動産業者の言いなりのままでは、私の親は業者や「自称地主」の人物らに騙され、本来なら必要の無い負担を強いられる、スケープゴートにされる事になるわけです。そんな理不尽な事がまかり通るようなことは、私としても絶対に許せないし、色々言っていても仕方が無いので、私としては、とにかく不動産業者や「自称地主」らの主張の矛盾点を指摘していくことに徹することにしました。

 かつて地動説を主張したガリレオ・ガリレイが「それでも地球はまわってる」と言いながら自説を主張し続けたように、私もガリレオのような意思を持たなければならない、まさにそうした心境で、不動産業者と電話で何回か協議を行いました。(なお、例の「自称地主」とも話し合おうとしたものの、相手は私の発言を聞いただけで単に怒り狂うだけで、もはや話にならない状態でしたし、さらには「自称地主」と私との話し合いにおける、私が発言した内容の一部をめぐって、その場には居合わせていなかった別の住民から、意味不明な抗議の電話が私の実家にかかってくる状況にもなりましたから、本当に話にならないレベルでした。)


 そして、結局分かった事としては、やはり私が当初から言っていた通り、但し書き道路の申請があったところで、私の実家が「袋地」になるということはありえないという事、当然ながら別の道路をつくったり測量したりする必要性は無いという事が明白になりました。


 では、なぜ、不動産業者や「自称地主」らは、あたかも私の実家が「袋地」になるかのように虚偽の説明を行い、さらには、私の親に対して「測量して道路を作らないとヤバイ」と思い込ませるような、パニックに陥らせるような説明を行ってきたのだろうか?

 要するに、不動産業者は、私の実家周辺のいくつかの土地に目をつけていたらしく、要するに土地を販売したり、建築許可をおろしやすい土地区画を行ったり、あるいは不動産の購入を検討する顧客に対して「良い土地だ」と思い込ませるためには、近接する道路が広いほうが不動産業者にとって都合が良いということ。そのために、私の実家の付近にある、2m幅程度の道路では不動産業者にとって都合が悪いという事で、要するに不動産業者にとって都合の良い整った道路やインフラを作るためには、常識的に考えれば、不動産業者自身がその開発費用を負担しないといけなくなるという事になります。

 そのため、不動産業者は、この地域で権力を持っている「自称地主」を利用して、私の親に対して、あたかも私の実家が「袋地」になるかのように虚偽の説明を行い、さらには、私の親に対して「測量して道路を作らないとヤバイことになる」と思い込ませるような、パニックに陥らせるような説明をして、私の親に対して、私の親のカネを使って、本来なら作らなくても良い広めの道路を作らせ、その道路を利用して、不動産業者が周囲の土地を売ってカネ儲けを図ろうとしたということなのだろうと思われます。

 すなわち、この不動産業者は、「他人のふんどしで相撲を取る」手法で、要するに自らの利益になると思われる開発事業のために必要な道路を、まったくの他者であるはずの私の親に対して、その負担を強いようとしたものと考えられます。


 もし、私の親が、問題の不動産業者や、その業者と結託している地元の「自称地主」の発言に対して、過剰に妄信し続けていたとすれば、そのまま、「作る必要の無い道路」や「行う必要の無い測量」の代金を騙し取られていた可能性が高いわけです。

 あるいは、私自身の知識量について、この分野の知識が現実の私よりもさらに無知だったとすれば、私自身もまた、この不動産業者や「自称地主」に騙されていたかもしれない。そうなると、やはり、そのまま、「作る必要の無い道路」や「行う必要の無い測量」の代金を騙し取られていた可能性が高いわけです。



 なぜ、本来なら「作る必要の無い道路」や「行う必要の無い測量」について、、あたかも必要であるかのような説明を行い、うちの親に対して、「勘違い」や「焦り」を招く手法で業者や「自称地主」が私達を騙そうとしたのか?どう考えても、私の親を騙そうとした、詐欺行為なのではないか?

 そのことを私は業者に何度も問い合わせても、相手は「説明不足でした」「勘違いがあった」と言って説明から逃げる始末。しまいには「お前はいったい何を要求したいんだ」「ポストに挨拶の手紙でも入れておけば気が済むのか」というような、いわば開き直りともとれる言葉が業者の口から出てくる始末でした。

 ちなみに、この不動産業者は、私の実家とは別の地権者のほうには「第二弾の申請がある」「市会議員への陳情の話もある」という説明をしていたようで、一部では一部の方の実印等を集めていたとの話もあるので、私としては、そうした「第二弾の申請」があるのか無いのか、あるとすればうちの家族の実印を要するのか、そうなれば再び詐欺行為に悪用されるのではないか、ということについて問い合わせたところ、「お前らが協力しないんだから第二弾もあるわけねえだろ」というような暴言が再び飛び出す始末でした。

 この業者の立場からすれば、もし私の親が不動産業者や「自称地主」の言いなりになって騙されて、本来なら必要の無い道路を自費で作ったとすれば、不動産業者の立場からすれば、道路をつくる金銭的負担を業者が負うことなく、私達が「騙されてつくった」新しい道路にフリーライダーとして乗っかる形で、その「作られる予定」の道路をテコにして周囲の土地数区画を販売して荒稼ぎしよう、という思惑があったのでしょう。

 しかし現実には、私や私の親は、不動産業者や「自称地主」がついたウソに騙されることはなく、その結果、不動産業者の目論見が外れる結果になったのでしょう。

 ただ、不動産業者が、事実と異なる事を言って、本来なら「作る必要の無い道路」や「行う必要の無い測量」について、あたかも必要であるかのような説明を行い(「袋地になる」かのような事実無根の説明を行う手法)、その上でうちの親に対して、「勘違い」や「焦り」を招く手法で、自らの利益につなげようとした事。そのこと自体が、詐欺そのものとしか言いようがありません。

 私達が、詐欺に騙されなかったことを理由として、不動産業者が「予定より儲けることが出来なかった!」みたいな身勝手な考え方に終始して、私や私の親を逆恨みするのであれば、それはお門違いもはなはだしいとしか言いようがありません。


 実はこの不動産トラブルはまだ完全には解決しておらず、不動産業者がなぜウソをついて私達を騙そうとしたのかということについて、不動産業者のほうから未だ謝罪も無いし、それ以前に、一連の騒動をめぐって他の近隣住民との話の食い違いもあって、「聞いた、聞いていない」の話の違い(特に先に述べた「第二弾の申請」の有無をめぐる話もあるので、仮に「第二弾」があるとすればその申請をめぐる意見交換なども必要となってくる)も未だに残っています。またこれに関連して、相手方が委託した測量業者とのやり取りをめぐり、一部で「言った、言わない」の話も残っていたりするので、その意味では、一連の不動産トラブルについては、現在進行形の話です。不動産業者そのものも話を二転三転する業者なので、数日後には、また別の話が飛び出してくるかも知れず、ゴールデンウイーク中であっても、状況が流動的な話となるかもしれません。そのため、具体的な話についてはこれ以上の事を書くことは現時点では避けておきたいと思います。



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 ただ、今回改めて痛感したのは、消費者教育の大切さということ、今の学校教育(公民科や家庭科)における消費者の権利に関するトピックの取り上げ方が、やはり不足しているし、何よりも受験教育としての暗記教育が、現実に生きるうえでの消費者保護のための知識や知恵として生かしていくのは容易ではない、だからこそ、安倍政権が教育政策を推し進めるに当たっては、消費者保護の問題のように、「受験科目として取り上げられることが少ないけれど大切なこと」にも目を向けていってほしいと思います。英語力を引き上げるとか、難しい計算が出来るようになる事とかよりも、優先されるべきことがたくさんあるのではないでしょうか。


 因習的な「上からの圧力」に屈する必要はなく、「同調圧力」にあわせる必要もなく、自分の意思を明確に伝え、拒否すべきものは拒否していく。そうした意見表明の権利は基本的人権として存在してるのだということを、もっと学校現場で教えていくべきだと私は思います。


 私個人としては、学校のいじめ問題をめぐって、(私が望まぬ形での対立関係になりましたが)教師と事実上の対立関係となったとき、学校の教師達が、いじめを隠蔽しようとして事実関係を歪曲しようと躍起になっていて、そうした中での学校側との話し合いの中で、何度となく私は事実関係の説明に徹してきましたが、学校側は事実関係を認めようともせず、責任転嫁や事実関係の歪曲に終始するばかりでした。私が中学の時には、学校側が私の同席の無い場所で、私の事について、学校側が私の親だけを呼びつけて、ありもしない事をでっち上げてきて、私の人間としての信用を貶める事を図る手法でいじめを隠蔽するという、許しがたい暴挙を行った、そういう学校現場もあったほどです。学校側とすれば、私が同席していれば、私が事実関係について淡々と説明していく事そのものが「都合が悪い」状況だったのでしょう。しかし、だからといって私に対して意見表明の機会を与えようとせず、結論ありきで事実関係の歪曲に終始し続けるなら、それは学校側の保身に基づくアンフェアなやりかたであることには代わりはありません。

 そういう意味では、私の経験上、アンフェアなやり方で不当に貶められたときには、意見表明の機会を与えられていない以上、もちろん自分の発言権が不当に奪われてしまっているために、自分の意見を言えない局面も出てくる事は事実です。


 しかし、学校における「いじめ隠蔽問題」にしても、この記事でテーマにした「不動産詐欺問題」にしても、やはり、相手は「懐柔と恫喝」を巧みに使い分ける手法で、要するに「強者」とか「多数派」は、「上からの圧力」か「集団の同調圧力」とかで、「弱者」や「少数派」に対して、あらゆる形で犠牲を強いようとする傾向にあります。その中で最も弱い立場とか少数派の人間が「スケープゴート」にされてしまう(されてしまいそうになる)構図というものは多くの社会問題において共通しているように感じます。

 私が目の当たりにした学校における「いじめ隠蔽問題」にしても、この記事でテーマにした「不動産詐欺問題」にしても。あるいは、私とは直接関係の無い人たちが直面している各種の社会問題にしても、その構図は共通しているように思います。

 しかし「弱者」や「少数派」にも、意見を表明する権利はあるし、自らの意見が正当ならば、それを堂々と主張し、権利を主張すべきです。私の経験で言えば、私が目の当たりにした学校における「いじめ隠蔽問題」にしても、この記事でテーマにした「不動産詐欺問題」にしても、私が主張すべき自らの正当な権利を主張すればするほど、そのことを気に食わないと考える人々もたくさんいて、そのため、周囲からのバッシングはありましたが、それでも、事実関係を明白にしていくということ、責任の所在をはっきりさせていくという事、そして何よりも、自らの意見が正当ならば、それを堂々と主張し、権利を主張していかなかれば、自らが、理不尽な立場におかれることを強制させられたり、不当に冤罪を着せられたりすることになってしまうわけです。

 このようなことを言うと、「いくら自分が正当な意見を言っても理不尽な状況は変えられない」と主張するひともいるかもしれませんが、仮に理不尽な立場を結局強要されることに変わりないという最悪の結末となったとしても、「自らの意見が正当ならば、それを堂々と主張し、権利を主張する」ことは続けていかなければ、いつの間にか、自分の本来持つはずの基本的人権が、いつの間にか不当に奪われる結果になってしまう。そのことに自分自身が気づいたときには、もう手遅れ…なんてことになってしまいかねないわけです。そうならないために、自分の主張すべき権利はしっかりと主張していくことは大切だと私は思います。

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 いろいろと書きましたが、最後に、私が言いたい事を端的に示した言葉が、最近の流行語となっていますので、その言葉を紹介します。元官僚の古賀茂明さんによる名言です。私自身もまたこの言葉を自分自身に言い聞かせながら、今日の記事を締めくくります。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

posted by ななこ at 03:14| その他 | 更新情報をチェックする
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